投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2016年 7月 5日(火)02時10分0秒
せいめいのせいき! とうこうしゃ、:らほつ とうこうび、2016ねん 、7がつ みっか
「せいめいの、せいき」への、こうさつ 「いんが、くじ」

いんがくじとは、いったい、どういうことなのかということへのこうさつです。
けつろんから、さきにもうしあげれば、「いん」も「か」も、このいっしゅんに、どうじにそなわって、いるということです。
だからこそ、しゅくめいてんかんが、かのうとなります。
「いんがいちねん」ともいいます。
いんと、かが、じかんてきに、ずれがある、うんめいろんてきな、いんがでは、どうどうめぐりを、くりかえすだけで、てんかんが、ふかのうです。
げんざいの「か」に、「いん」が、そなわっているからこそ、そのてんかんが、かのうです。
これが、だいしょうにん、ぶっぽうの、すごいところです。
つうじょうの「いんが」は、「いん」がさきで、「か」があとです。
せつなの、じかんたりといえども、じかんのさが、あります。
「いんがいじ」といいます。
「くじ」の「く」は、「ともに」、「ともにそろって」、のいみがあります。
「ぐそく」の「ぐ」とは、ことなります。「ぐ」は、「つぶさに」、「そなわる」のいみです。

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* このうちゅうは、みょうほうれんげきょうという、だいせいめいたい!
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じゅんをおいましょう、まず、このうちゅうは、みょうほうれんげきょうという、だいせいめいたいです。
だいしょうにんが、そうなづけられました。
その、だいせいめいたいから、いろんなせいめいが、しょうじてきています。
そのひとつひとつが、「みょうほうれんげきょう」です、みょうほうれんげきょうという、せいめいは、そうした、かいそうをなす、そんざいだといえます。
じっかいの、ことなりがあります、そうぐうするえんによって、しょうじかた、(へんかのしかた)が、ちがうからです。
しょうぶんも、そうも、そのたいも、ことなります。そのもとで、りきも、さようも、いんも、かも、えんも、かによる、むくいもことなる、そして、そのぜんたいが、じごくならじごく、がきならがき、しゅらなら、しゅらで、くきょうして、いっかんせいが、ある(ひとしい)というのです。
これがじゅうにょぜです。

「じっかい」、はみょうほうれんげきょうの、へんかそうです。「とう」、「とうば」や「ぶんしん」と、いうひょうげんも、あります。うまれでる、ぼたいを「ふぼ」とするひょうげんもあります。

こうおおせです。
「みょうほうれんげきょうの、けんなれば、じっかいのしゅじょう、さんぜんのぐんるい、みな、じしんのとうばを、みるなり、じっかいの、ふどうなれども、おのれが、みをみるは、さんぜんぐそくの、とうを、みるなり、おのれの、こころを、みるは、さんぜんぐそくの、ほとけをみるなり」、おんぎくでん、P797と。
「み」と、「こころ」にわけて、そのへんかそうを、「とう」と、「ほとけ」に、たてわけて、おられるところも、きょうみぶかいところです。

ここから、、「じっかいさんぜん」、がうまれます。いえ、せいめいは、「じっかいさんぜん」で、あるということです。
このつぎしもに、その、おおせがあります。
「ぶんしんとは、ふぼより、そうぞくする、ぶんしんの、こころなり、まようときは、るてんの、ぶんしんなり、さとるときは、かちゅうの、ぶんしんなり、さて、ぶんしんのおこるところを、ならうには、、じごくをならうなり、かかるほうとうも、みょうほうれんげきょうよるほかは、これれなきなり」(どう)と。
ぶんしんのおこるところを、ならうのには、じごくをならう、ひつようが、あるというのも、おもしろいところです。
ろうくが、ふかけつということでしょうか、たたきのめさないと、せいめいは、いいものがでないようです。
「おっくうの、しんろう」がおもい、おこされます。

さて、「せいめい」は、みょうほうれんげきょうです。にんげんも、みょうほうれんげきょうです。

みょうほうれんげきょうに、よって、うまれた、あたらしいせいめいも、みょうほうれんげきょうです、さきにあげた、おんふみの、「かかる、ほうとうも、みょうほうれんげきょうよるほかは、これなきなり」の、かしょがそれです。
つまり、みょうほうれんげきょうという、こんげんのせいめいは、あたらしい、みょうほうれんげきょうの、ぼたいであると、どうじに、あたらしい、みょうほうれんげきょう、そのものの、なまえでもあると、いうことになりなります。

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* しゅっぱつも、みょうほうれんげきょう、とうたつも、みょうほうれんげきょう!
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その、あたらしい、みょうほうれんげきょうの、しゅっぱつてんとなって、さらに、また、あたらしい、みょうほうれんげきょうを、きずきあげていくさまを、「いんが、くじ」とひょうげん、されたのではないかと、かんがえられるわけです。
しゅっぱつも、みょうほうれんげきょう、とうたつも、みょうほうれんげきょうということになります。
さらに、そのとうたつの、みょうほうれんげきょうも、つぎの、みょうほうれんげきょうのそうぞうへの、しゅっぱつに、なるとのとらえかたです。
これは、じつに、たくえつした、れんぞくせいのある、「せいめい」の、とらえかたです。
せいめいは、せいしした、ふれんぞくの、、ものではない、たえずへんかし、そのへんか、がれんぞくして、しかも、とういつせいを、たもっているという、じつに、ドラスティックな、それでいて、、せいみつな、きのう、をもつものだと、いうことが、よくわかります。

どうじに、これは、せいめいが、さんぜ、にわたる、えいえんせいのある、そんざいで、あることも、しめしています。
「いん」としての、みょうほうれんげきょうも、「か」のみょうほうれんげきょうであると、いうことですから、かこに、せきさんした、「いん」が、なければなりません。そして、どうじに、げんざいの「いん」が、みらいの、みょうほうれんげきょうに、つながっていく、れんぞくせいが、ひつようだからです。
このえいえん、れんぞくせいのある、「いんと、か」が、どうじにそんざい、(くじ)、するいみは、「みょうほうれんげきょう」の、「れんげ」のなかに、しめされています。いぜんの、とうこうにしめささせて、いただいたように、みょうほうれんげきょうが、「みょうほう」という、「しょうじ」の、そんざいであるとどうじに、「れんげ」という、「いんが」が、ともにある、そんざいで、あるということに、なります。

さらに、つきすすめば、その「れんげ」のなかにも、「れん」のいちじに、しめされていることが、じゅうはちえんまんしょうに、しるされています。
「みなもと、れんのいちじより、おこれるなり」、じゅうはちえんまんしょう、P1362とあります。

みょうほうれんげきょうが、しゅっぱつの、せいめいであると、どうじに、とうたつの、、せいめいであると、いうことは、「いちねんさんぜん」の、「いちねん」が、「さんぜん」でも、あるということと、どうぎごです。「いちねん」が、「さんぜん」で、あらわされるということと、「さんぜん」は、「いちねん」に、しゅうやく、あるいは、しゅうそくするという、いみでもあります。
つまり、「いちねん」と、「さんぜん」は、そのこうりゅうが、そうほうこうです。

しかも、この「れんげ」は、「せいじょう」をも、いみします。
ここから、みちびきだされる、けつろんは、「せいじょう」は、なにもない「むく」の、せいじょうということではなく、すべてが、あるせいじょう、すべてが、たがいにおぎないあい、ほかんしあいもして、みごとなる、ちょうわをおりなす、「せいじょう」だということになります。
それが、おそらくは、「じっかいどうじの、じょうぶつ」と、おなじいみになるのでしょう。

べつの、おおせには、こうもあります。
「しりは、ななし、しょうにん、りをかんじて、ばんぶつに、なをつくるとき、いんがくじ、ふしぎのいっぽう、これあり、これをなずけて、みょうほうれんげと、なす、このみょうほうれんげの、いっぽうに、じっかいさんぜんの、しょほうを、ぐそくして、けつげんなし、これを、しゅぎょうするものは、ぶついん、ぶっか、どうじに、これをえるなり」、とうたいぎしょう、P513
ここでは、、「みょうほうれんげ」と、ひょうげんされおられます。「みょうほうれんげ」の、「きょう」なのですから、おなじ、いみと、とらえて、かまわないでしょう。

みょうほうれんげきょうが、、このうちゅうの、こんげんのほうです。それじたいが「せいめい」であり、ありとあらゆる、「せいめい」をつくりだしていく、「いん」であり、どうじに「か」でもある、そして、そのつくりだされた「か」の、「せいめい」が、つぎなる「せいめい」を、つくりだしていく、「いん」ともなる、その、ひょうげんが、「いんがくじ」ということに、なります。

こうよむと、よみやすい、いっせつがあります。ほっけしょしん、じょうぶつしょうの、いっせつです。
「およそ、みょうほうれんげきょうとは、われらしゅじょうの、ぶっしょうと、ぼんのう、たいしゃくらの、ぶっしょうと、しゃりほつ、もくれんらの、ぶっしょうと、もんじゅ、みろくらの、ぶっしょうと、さんぜのしょぶつの、げの、みょうほうと、いったいふになる、りを、みょうほうれんげきょうと、なずけたるなり、ゆえに、いちどみょうほうれんげきょうと、となうれば、いっさいのほとけ、いっさいのほう、いっさいのぼさつ、いっさいのしょうもん、いっさいのぼんのう、たいしゃく、えんま、ほうおう、にちげつ、しゅうせい、てんじん、ちじん、ないし、じごく、がき、ちくしょう、しゅら、にんてん、いっさいしゅじょうの、しんちゅうの、ぶっしょうを、ゆいいつおとに、よびあらわしたてまつる、くどく、むりょうむへんなり、わが、こしんの、みょうほうれんげきょうを、ほんぞんと、あがめたてまつりて、わがこしんちゅうの、ぶっしょう、なむみょうほうれんげきょうと、よびよばれて、あらわれたまうところを、ほとけとは、いうなり」、ほっけ、しょしん、じょうぶつしょう、P557。

とりわけ、さいごのほうの、
「わが、こしんの、みょうほうれんげきょうを、ほんぞんと、あがめたてまつりて、わがこしんちゅうの、ぶっしょう、なむみょうほうれんげきょ、うとよびよばれて、あらわれたまうところを、ほとけとはいうなり」
です。
「こしんのみょうほうれんげきょうを、ほんぞんと、あがめ、たてまつりて」です。
「ほんぞん」と、おおせです、ぼんぷのこしんが、そのまま「ほんぞん」としては、てんだいほんがくしそうに、なってしまいます。
「こしんちゅうの、ぶっしょう、なむみょうほうれんげきょう」が、「あらわれたまう」ことが、じゅうようです。
ここに「いんがくじ」に、ひされた、ポイントが、あるのではないでしょうか。
それは、「よび、よばれて」です。「よぶ」なにかが、ひつようなのです。
「しょうだいぎょう」です。
そとなる、「ほんぞん」に、しょうだいして、「わが、こしんちゅうの、ぶっしょう」が「なむみょうほうれんげきょう」と、よび、よばれて、くるのです。その「いん」となるのが、しょうだいぎょうというわけです。

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* わが、いちねんの、てんかんによって、じしんの、えほうも、しょうほうも、しゅんじにしてかわる!
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「れんげの、ほう」に、ついて、いけだせんせいは、「しょうじ、いちだいじ、けちみゃくしょうこうぎ」で、かたって、いただいております。

「えほうにおいても、しょうほうにおいても、また、えほうと、しょうほうのあいだにも、しゅじゅのいんがの、げんしょうが、、おこっている。
それらは、すべて、みょうほうに、そなわるしょうじの、にほうに、ほかならない、といわれるのです。
そうであれば、えしょうの、しゅじゅの、いんがのげんしょうも、そのほんしつは、いんがくじの、『れんげのほう』に、のっとって、おこっているのです。

さて、えほうも、しょうほうも、ともに、、いんがくじの、『れんげのほう』で、あるということは、じっせんてきには、いかなることを、いみするのでしょうか。
それは、わがいちねんの、てんかんによって、じしんの、えほうもしょうほうも、しゅんじにして、かわるということを、とかれているのです。=ちゅうりゃく=
わがいちねんによって、しょうほうが、しゅんじに、かわるということは、このみ、そのままで、せいめいが、へんかくされると、いうことです。
そのとき、しょうほうだけでなく、じしんをとりまく、ほうもまた、かならずかわります。
『れんげのほう』、すなわち、『いんが、ぐじの、みょうほう』は、せいめいが、ほんらいもつ、むげんのせんざいてき、かのうせいをひらき、さんぜにわたって、じゆうじざいの、きょうがいを、えることができるのです」、しょうじ、いちだいじ、けちみゃくしょう、こうぎ、P68と。

すばらしい、「いんが、いちねん」のほうです。