投稿者:無冠 投稿日:2016年 7月30日(土)18時04分22秒   通報 編集済
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2007-5-8 【埼玉池田研修道場】

■ 一、皆様の祈りに包まれて、久方ぶりに、大好きな埼玉県に足を運び、念願の埼玉の研修道場を訪問することができました。
きらめく陽光も、吹きわたる薫風も、まことに、すがすがしい。
まさに、緑と光あふれる「彩の国」である。
先ほど、自然豊かな飯能(はんのう)の地を車で通った。
飯能は、私にとって、忘れることのできない場所である。
それは、終戦直後のことであった。
日本は敗戦。
惨めな焼け野原だけが残った。
「増上慢だから負けた。傲慢は、最後は滅びるのである」──これが軍部と戦い抜かれた戸田先生の叫びであった。

●戦争は残酷だ
一、戦争は、本当に残酷だ。
わが家は、4人の兄を次々と戦争にとられた。
また、空襲が激しくなり、住んでいた家は強制疎開で取り壊され、引っ越した先の家も、すぐまた空襲に遭い、焼け出されてしまった。
一家は皆、噴き上げる火のなかを、散々な思いで逃げ回ったのである。
終戦後、まず3番目の兄が復員した。
続いて、4番目の兄が戻り、さらに2番目の兄も帰ってきた。
しかし、長兄は戦死であった。
その悲報を受け取ったときの父と母の落胆した姿は、今も胸に焼き付いている。
戦後の食糧難のとき、私の次兄が、しばしば訪れたのが、埼玉の飯能であった。
そこに次兄の戦友がいたのである。
その方が、とても、よくしてくださり、しよっちゅう、米や野菜を分けてくださった。
次兄は、持ちきれないほどの食料を抱えて、笑顔で帰ってきた。
そのおかげで、わが家は、皆、生きのびることができた。
飯能の地は、わが家にとって、大恩の天地なのである。

●心が通い合ってこそ異体同心!
一、リーダーは、どこまでも、同志のことを祈っていくのだ。
具体的に祈り、誠実に尽くしていけば、必ず反応がある。仏法は「依正不二」なのだから。
とにかく、祈る。
そして、感じよく接していくことだ。
自分の「大きい心」ができあがっていけば、自然と「大きい結果」が現れてくる。
大事なのは、心の奥で本当に信頼し合えるかどうかである。
「あの人は好きだ」「あの人となら一緒にやっていきたい」となっていかなければ、本当の異体同心ではない。
権力でも、権威でも、組織でもない。
人間としての心が通じ合うかどうかである。
偉大な御仏意のままに、本当の人間の絆を、学会のなかにつくってきたのが、牧口先生であり、戸田先生であり、その直系の弟子の私である(大拍手)。

●仏と同じ力を
一、大聖人は、「日蓮は、この法門を語ってきたので、他の人と比較にならないほど、多くの人に会ってきた」(同1418ページ、通解)と振り返っておられる。
人と会い、人と語り、妙法の仏縁を結ぶ──これまた、皆様方が、毎日毎日、たゆみなく実践されていることだ。
学会活動は、御本仏の御振る舞いに、すべて完壁に直結しているのである。
戸田先生も、よく言われた。
「仏の仰せ通りに行動すれば、仏の使いです。仏の使いは、仏と同じ力を発揮できるのです」
この大確信に燃えて、広宣流布の一つ一つの戦いに、喜び勇んで飛び込んでいくことだ。そして思う存分に、わが生命の偉大なる仏の力を発揮していくことである。
それが、自分自身の永遠不滅の「人間革命」の勝利と栄光の歴史となっていくからだ。
戸田先生は、「広宣流布は、信頼と友情の対話から広がる」とも教えてくださった。
どうか、蓮祖の歩まれた有縁の大地で、「希望の街道」を、「幸福の街道」を、そして「勝利の街道」を、明るく朗らかに、歩み、語り、進んでいっていただきたい(大拍手)

●師弟が根幹
一、師弟こそ、仏法の根幹である。真実の人間性の極致である。
わが戸田先生は、仏法の上からも、人生の上からも、師弟の関係こそ、一つの正しい生き方の規範であることを厳しく教えられた。
この人間の根本のつながりを疎かにして、真実の社会の繁栄、発展はない。それどころか、平和もなく、調和もない、畜生以下の無秩序の社会になりかねない。
学会の「師弟の世界」こそ、本当の「人間性の世界」であり、真の「異体同心の世界」である。
この麗しい学会を乗っ取ろうとか、自分の欲望のために利用したり、壊そうとする悪い人間が出たならば、徹して戦え! 叩き出していけ!──と恩師は厳しかった。
異体同心でなければならない。その根幹が師弟である。だから、師弟を叫んでいくことが大事なのである。
広宣流布とは、一面では、権力の魔性との壮絶な闘争である。
魔性との戦いが、本当の信心の姿、学会の姿、広宣流布の姿である。
アメリカの女性作家パール・バックのお母さんの言葉を、埼玉の友に贈りたい。
「なにが起ころうと、立ち向かうよりほかに道はないのです。そう決心した瞬間、心はすっかり平静になった」(パール・バック著・木村治美訳『娘たちに愛をこめて』三笠書房)と。
我らも、断じて恐れてはいけない!

●男性が立て!
ナポレオンが、人生の晩年に、こう語ったことがある。
「私は、女性と十分に対話できなかったことを後悔している。女性からは、男たちがあえて私に語ろうとしない多くのことを、学ぶことができる。女性には、まったく特別な独立性があるのだ」(『波瀾万丈のナポレオン』潮出版社から)
天才ナポレオンも、わが人生を振り返り、女性の智慧に学ぶことができなかったことを反省したのであろう。
男性幹部は、絶対にそうなってはいけない。女性に学び、女性を尊重していくことだ。
私は女性を大事にしてきた。大阪の戦いも、女性が力を発揮して勝利した。そういう学会に変えてきたのである。
広布前進の原動力は、女性である。
婦人部、女子部の皆さんが、一生懸命やってくださっているから、学会は勝ってきた。それを男性諸君は絶対に忘れてはならない。

●師弟不二で立て
一、若き日、私は弟子として、師匠である戸田先生に徹して仕えた。
戸田先生の事業は破綻し、膨大な負債を抱えた。先生は学会の理事長を辞任。明月をも知れないという、絶体絶命の状況だった。
多くの人間が先生のもとを去っていくなかで、私がただ一人、先生を守り抜いた。
厳しい闘争のなかで、真夜中に戸田先生から呼び出されたこともあった。私は、飛ぶようにして駆けつけた。
師匠を守る。師匠のために、わが身を捨てて戦う。そうしてつくりあげたのが、今の創価学会である。

御聖訓には、こう仰せである。
「良い弟子をもつならば、師弟は、ともに成仏し、悪い弟子をたくわえるならば、師弟は、ともに地獄に堕ちるといわれている。師匠と弟子の心が違えば、何事も成し遂げることはできない」(御書900ページ、通解)
仏法の根本は「師弟」だ。真実の弟子であるならば、師匠のために体を張ってでも戦うのだ。師の勝利を祈り抜いていくのだ。
それを、敵に対して本気になって戦わない。見て見ないふりをする。そんな情けない弟子、ずるい人間であっては絶対にならない。
大きく心を開いて、本当の高次元な創価学会の精神に立って戦うことだ。「師弟不二」で戦いきることだ。
「師弟」がなくなったら、学会は壌されてしまう。

●悪を打ち破れ
一、戸田先生は恩知らずに対しては、それはそれは厳しかった。こう指導しておられた。
「ひたすら現在の世相を見るに、人の道たる知恩・報恩の者が、ごく稀である。ここに、社会の乱れが生ずるのである」
「恩を報ぜぬということは人間の特権を放棄し、禽獣に同ずることである」
そして先生は、学会の大恩を踏みにじり、和合僧に弓を引く人間とは、徹底して戦えと厳命されたのである。
これまでも、学会のおかげで社会的な地位を得ながら、傲慢になり、ついには反逆していった人間がいた。
ゲーテは述べている。
「愚昧な、狭量の連中こそ、だれよりも威張りたがる」(生野幸吉訳「西東詩集」、『ゲーテ全集2』所収、潮出版社)
愚かな人間に限って、すぐに威張り散らし、人を見下すものだ。こうした人間を絶対に許してはならない。
イタリア・ルネサンスの大詩人アリオストは叙事詩で綴った。
「ああ、哀れなるかな、邪悪な輩に長きに渡り、唆(そそのか)されて、苦しみに引きずり込まれる者たちよ」(脇功訳『狂えるオルランド(上)』名古屋大学出版会)
悪は放置すれば増長する。皆、だまされてしまう。悪人と戦わなければ、学会が破墳されてしまうのだ。
「破邪顕正」といっても、あくまで「破邪」が先である。まず悪と戦い、悪を打ち破るのだ。
それでこそ「顕正」がある。悪を倒してこそ、初めて正義を明らかにし、宣揚することができるのである。
「破邪」が根本であり、その次が「顕正」だ。この方程式を、深く胸に刻んでいただきたい。 戸田先生は、こうも言われていた。
「忘恩反逆の提婆達多は、一切の悪人を集めても、釈尊の仏法には敵わないという証拠を残して、仏罰を受けて死んだ」
日蓮大聖人の正統である創価学会に仇をなした、提婆のごとき輩が、哀れな末路をたどっていることは、皆様がご存じの通りだ。

●闘争精神を受け継げ!
一、次に、青年部に贈りたい。韓民族の独立の指導者・呂運亨(ヨウニョン)の叫びである。
「倒れてもまた起き上がって闘う闘争精神は、青年が受け継がなければならない精神である」
うれしいことに、不撓不屈の学会精神を厳然と受け継ぐ、わが埼玉青年部の活躍も、まことに目覚ましい。
呂運亨は、厳しく戒めてもいる。
「有利な時には正義を口にし、不利な時に裏切るとはとんでもない」
大聖人の滅後、日興上人の時代には、五老僧がいた。彼らは高弟でありながら、肝心な時に、愚かにも権力を恐れ、権威におもねった。そして、師が打ち立てた正法を歪め、踏みにじった。
次元は異なるが、牧口先生、戸田先生の時代も、卑劣な背反者が出た。
ゆえに、戸田先生は晩年、繰り返し、”第3代を中心に団結せよ”と語ってくださっていた。
「第3代は、第2代よりも、もっと大きな仕事をするよ。いいかい。みんなで、第3代を大事にするんだぞ!」と。
これは当時の最高幹部がよく知っていることである。

■ 偉大なる常勝埼玉、万歳! どうか、お元気で! 埼玉の全同志の皆様にくれぐれも、よろしくお伝えください。
きょうは、本当にありがとう! また、お会いしましょう!(大拍手)