投稿者:無冠 投稿日:2016年 7月18日(月)17時26分26秒   通報

全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-7-8 【記念代表協議会】
●信心で勝て 執念で勝て
 一、尊き同志の奮闘のおかげで、創価学会は、ますます勢いを増し、隆々(りゅうりゅう)と、また堂々と、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の広宣流布を全世界に広げている。
 全国の同志の皆さま、毎日の折伏・弘教の大闘争、本当にご苦労さまです(大拍手)。
 折伏は難事中の難事である。なかなか思うような結果が出ず、苦労している人もいるであろう。
 しかし、大変だからこそ、成長できる。人間革命できる。実ったときの喜びも大きい。
 「一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(御書1361ページ)とは御本仏の仰せである。妙法を語った功徳は無量無辺なのである。
 どうか、「地涌の菩薩」の使命に燃えて、互いに祈り合い、励まし合い、喜び合いながら、縁するすべての人々に、希望と勝利と幸福の種をまいていっていただきたい。
 最後は「信心」で勝つのである。「執念」で勝つのである。「団結」で勝つのである。
 「創価学会、万歳!」
 「尊き全同志、万歳!」と天高く叫びつつ、最大の感謝を込めて、記念のスピーチを残させていただきたい(大拍手)。

●弟子の勝利こそ師匠への報恩
 一、戸田先生の時代と比べると、今は、あらゆる面で恵まれている。会館は各地にあり、力ある人材がそろっている。
 そのなかで、幹部が惰性になって、闘争精神を忘れ、増上慢になって、師弟の心を忘れるようなことがあっては、敗北は避けられない。
 真の弟子ならば、断固として勝って、師匠に「勝利の栄光」を捧げゆくことである。それが、報恩の真髄であるからだ。
 「勝てるか?」
 「勝ちます!」
 勝利の源泉となりゆく、この師弟の朝の深き心の呼吸を、私は後継の青年たちに伝えておきたい(大拍手)。

●惰性と傲慢(ごうまん)から目を覚ませ!
 一、法華経の信解品(しんげほん)では「四大声聞(しだいしょうもん)」と呼ばれる釈尊門下の長老たちが、未曽有の大法を聞いて、それまでの惰性から豁然(かつぜん)と目を覚ましていく生命の劇が描かれている。
 長い間、修行してきたという慣れ。もはや、年老いたという疲れ。それなりに境涯を開いたという傲(おご)り ── 。
 そうした命の無明を打ち破ったのが、師である釈尊の師子吼であった。
 彼らは、大仏法の真髄の計り知れない奥深さに目を見張り、再び求道の心を燃やし始めた。その生命は、いまだかつてない歓喜に包まれ、躍動していった。
 経典では、その歓喜が「無上宝聚 不求自得(むじょうほうじゅ・ふぐじとく=無上の宝聚は求めざるに自ら得たり)」と表現されている。
 我々もまた、先輩になり幹部になっても、新たな決意で立ち上がり、「人生の勝利の総仕上げ」へ、いな、「三世永遠の勝利の行進」へ、新たな一歩を踏み出すのだ。
 師の大恩への尽きせぬ感謝を込めて、師弟不二の心で、後に続く無数の人々のために道を開いていくことである。
 戸田先生は、いつもこう言われていた。
 「若い人のために、学会はあるのだ。
 先輩は、後輩にヤキモチを焼いたりしないで、成長を祈っていけ! 社会のため、日本のため、人類のために活躍する若い人を育てるのだ。
 これが、学会の目的である」
 創立80周年へ一段と総力をあげて、「新しい人材」を育て、「新しい創価学会」をつくり、「新しい広宣流布」の時代を構築してまいりたい。

●「今いる場所」が常寂光土(じょうじゃっこうど)と輝く
 一、また、有名な「当体義抄(とうたいぎしょう)」で、大聖人はこう仰せである。
 「所詮、妙法蓮華の当体とは、法華経を信ずる日蓮の弟子檀那等の、父母から生じた肉身そのものをいうのである。
 正直に方便の教えを捨て、ただ法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱える人は、煩悩・業・苦の三道が、法身(ほっしん=仏が証得した真理)・般若(はんにゃ=真理を悟る智慧)・解脱(げだつ=法身・般若の二徳が一如となり、生死の苦界から脱却した状態)の三徳と転じて、三観(さんかん=三種の観法。観法とは法を観ずること)・三諦(さんたい=仏が悟った究極の真理を三つの側面から捉えたもの)が、そのまま一心に顕れ、その人が住するところは常寂光土となるのである」
 「法華経本門寿量品の当体蓮華の仏とは、正法を信受する日蓮の弟子檀那等のことである」(同512ページ、通解)
 すなわち、大聖人に直結して広宣流布へと戦う学会員こそが、尊極の「妙法蓮華の当体」なのである。
 そして、その一人ひとりが、凡夫の「三道」を仏の「三徳」へと転換し、今いる場所を、常寂光土として光り輝かせていくことができる。
 これが、大聖人の御約束である。

●わが身に無量の智慧と力が
 一、さらに、日蓮大聖人は、健気(けなげ)な信心を貫く門下の日女御前に対して、こう仰せである。
 「法華経宝塔品の儀式には、多宝如来、釈迦如来、十方の諸仏、一切の菩薩が集まられたのである。
 その宝塔品が今、どこにあられるかと考えてみると、それは、日女御前の胸中、八葉の心蓮華(しんれんげ)の中にこそあられると日蓮は見るのである」(同1249ページ、通解)と。
 仏法は抽象論でもなければ、観念論でもない。現実に広宣流布のために真剣に戦う創価の同志こそ、全宇宙の仏菩薩の智慧と力を備えた、何よりも気高い妙法蓮華の当体なのである。
 どうか皆さまは、この最高無上の生命の誇りと、無量無辺の大福運を深く強く自覚して、いかなる試練も、断固として勝ち越えていっていただきたい。

●陰徳(いんとく)は陽報(ようほう)に!
 一、見栄を張ったり、虚栄でわが身を飾っても、真実の幸福は決して手に入らない。
 イギリスの劇作家シェークスピアも、地位や富がもたらす一時の栄華について、「その華やかさも、地位にまつわるきらびやかさも、うわべだけの親友同様、実体のない虚像にすぎないのだ」と綴っている(小田島雄志訳「アテネのタイモン」、『シェイクスピア全集VII』所収、白水社)。
広宣流布に生き抜く創価の女性こそ、真実の「幸福博士」である。
 とりわけ白蓮グループや婦人部の香城(こうじょう)会など、陰で学会の前進を支えてくださっている方々の福徳は、はかりしれない。
 「陰徳あれば陽報あり」(御書1178ページ)の原理のまま、偉大なる功徳に包まれゆくことは間違いない。
 また、学会のリーダーの皆さま方は、こうした方々の尽力を決して当たり前と考えてはならない。どうか、その功労を最大に讃え、深く感謝していっていただきたい(大拍手)。

●「恩知らず」を絶対に許すな!
 一、私は、広宣流布に青春のすべてを捧げた。そして今日の学会をつくりあげてきた。
 高い山には烈風が吹く。世界一の平和の大師匠である戸田先生を、偉大なるがゆえに嫉妬し、歪め、悪罵するマスコミもあった。
 いわれなき中傷を目にするや、私は「行ってきます!」と敢然と飛び出した。徹底して抗議し、真実を訴えた。
 そんな私を、先生は温かく、ねぎらってくださった。美しい劇の一幕のようであった。
 師弟不二の道を進む限り、行き詰まることは絶対にない。
 ここで、戸田先生のご指導を拝しながら、未来のために、何点か確認し合っておきたい。

 第1に、戸田先生が最も厳しかったのは、「恩知らず」に対してであった。
 先生は、峻厳に言われた。
 「恩を仇で返す者は、必ず地獄に堕ちる。
 そしてまた、傲慢な恩知らずほど、鬼畜の如き卑しい人間はいない」
 「学会の支えのおかげで、それなりの社会的地位を持てるようになりながら、同志を見くだす。また、学会でお世話になった恩を忘れて、同志を守ろうとせず、反対に利用するだけ利用する。こういった人間は、本当の異体同心ではない。学会の同志ではない」
 「恩知らずがそのままいると、学会が食い殺される。これは、どこの団体も同じだ」
 「一生、あのずる賢い、畜生の如き恩知らずを許すな! 叩き破るまで戦え!」
 戸田先生は、日蓮大聖人が南岳大師の言葉を引かれた御書を、しばしば拝しておられた。
 「もし菩薩がいて、悪人をかばって、その罪を罰することができず、そのために悪を増長させ、善人を悩乱させて正法を破壊させるならば、その人は、実は菩薩ではない」(御書1374ページ、通解)
 まったく、この仰せの通りである。
 悪を見ながら戦わない。正義のために戦わない人間は、結局は、自分が悪と同じになってしまう。
 悪に対しては、徹して責め抜くことだ。それが慈悲に通ずる。

●幹部は会員や後輩に尽くせ
 一、第2に、「幹部は絶対に威張らない」ということである。
 先生は言われた。
 「幹部は、会員や後輩に仕え、尽くしていく存在である。威張って会員を苦しめるようなことは、絶対に許さない」
 「本当の立派な信心とは、後輩を心から尊敬し、大事にすることである。大切な学会員を、下に見るようなことは断じてあってはならない」
 「ぼやぼやして、動かずにいて、戦いの邪魔になる幹部、また増上慢になり、威張り散らして、皆の迷惑になる幹部は、いなくなってもらったほうがよい」
 あのロシアの大文豪トルストイも、こう綴っている。
 「人間てものは威張り出すが最後、すぐに臆病がさして来るもんだ」(米川正夫訳「闇の力」、『トルストイ全集第13巻』所収、岩波書店)
 文豪が喝破した通り、「威張り」と「臆病」は、表裏一体なのである。

●戦い抜いた人を一生涯、讃えよ
 一、さらに第3として、戸田先生が強く言われたのは、「傲慢な幹部は、厳しくただせ」ということである。
 先生は、一段と強く言われた。
 「戦って戦って戦い抜いた人は、必ず賞讃せよ! 一生涯、また一家も、子孫までも賞讃せよ!
 反対に、戦うべき立場にありながら、敵を前にして戦わない、ずるい人間は必ず罰せよ!悪事をなした者には自らの行動の報いを受けさせよ!」
 「あまり、皆に守られ過ぎて、おかしくなっていく奴らを、絶対にのさばらせてはならない。 権力は魔性であるからだ」
 戸田先生は、民衆のため、社会のために闘う、有為な指導者の出現を願っておられた。それだけに、同志のおかげで偉くなりながら、堕落した人間には厳しかった。

●ペテン師どもにだまされるな!
 一、中国の「ペンの闘士」巴金(ぱきん)先生とは、私も4度にわたり、忘れ得ぬ出会いを重ねた。
 その生涯のなかで、絶えずペテン師を糾弾してきた巴金先生は、こう指摘する。
 だれかがペテン師を軽視したり、「たいしたことはできない」と考えても、「ペテン師の方ではひそかに毒気を発散し、影響力を広げる」。
 そして追放すべきペテン師に「養分を与え、成長させている」のは、ほかならぬ「だまされる人たち」なのだと。
 ゆえに、必要なことは何か。それは、今まさに、ペテン師どもにだまされている人々に向かって、「大喝一声(だいかついっせい)、『目を大きく見開け』と怒鳴りつけるべきなのだ!」。
 〈石上韶訳『巴金 真話集』『巴金 無題集』筑摩書房を参照〉
 文化大革命の迫害を耐え抜いた、巴金先生の血涙の叫びである。
 ペテン師や、忘恩の裏切り者の悪の根を断つために、正義の声を、いよいよ張り上げていかねばならない。

●青年が下から上を動かせ!
 一、そして第4に、戸田先生が常に訴えられたのは、「青年を伸ばす」ことである。青年の力を最大に発揮させることである。
 先生はリーダーに対して、繰り返し言われた。
 「創価学会を愛し、そして青年の力を存分に養ってほしい」
 「青年を、青年時代のうちに徹して訓練することだ」
 そして青年に対しては、このように大きな期待を寄せておられた。
 「舞台を大きくもつことだ。正義のため、不幸の人びとのために。青年期の奮闘は、やがて、悔いなき財宝に変わろう」
 「青年の成長なくして広宣流布もない、時代の未来も開けない」
 「上からの指示で動くのではなく、青年が、下から上を動かしていけ」
 「悪い幹部も出るにちがいない。口のうまい人、学会を利用して自分の利害を考える人等々 ── 常に青年は、濁ったそれらの人々を見抜き、戦っていかねばならない。
 そうでなければ、正法の永遠性も、信心の正しさも証明できなくなってしまうからである」
 私は、この恩師の心のままに、万年の広宣流布の道、永遠の勝利の道を開いてきた。

●広宣流布は女性で決まる
 一、最後に第5は、「女性を大事にすること」である。
 先生は言われた。
 「女性の意見を最大に尊重せよ。女性は、ウソやごまかしを見破る鋭い感性を持っているからだ。女性を大事にしないところは必ず衰退する」
 「壮年の幹部は、婦人部、女子部を、絶対に叱ってはならない」
 男女同権である。婦人部や女子部を下に見るような幹部がいたら、先生は厳しく戒められた。
 戸田先生が繰り返し拝された御聖訓が、四条金吾の夫人である日眼女(にちげんにょ)への一節である。
 「この法華経だけには、『この経を受持する女性は、他の一切の女性にすぐれるだけでなく、一切の男性にも超えている』と説かれている」(御書1134ページ、通解)
 妙法を受持し、広宣流布という崇高な人生を歩む女性は、何と尊い存在か ── 御本仏は、女性門下を心から賞讃されたのである。
 また先生は、婦人部に言われた。
 「信心をやりとげていけば、家庭も、すべて幸福になるに決まっている。信心強く、自らの生命に生き切って、幸福になり切っていけばいいではないか」
 さらに女子部には、「『自分観』『人生観』『社会観』『宇宙観』 ── この四つをきちっとまとめているのが仏法なのです」とも教えておられた。
 女子部は「教学で立て」、そして「一人ももれなく幸福になれ」と祈り、訴えられたことは、ご存じの通りである。
 ともあれ、「広宣流布は女性で決まる」。
 これが、戸田先生の提唱された合言葉であった。

●悪い人間とは 善い人間とは
 一、世界の知性の箴言(しんげん)を贈りたい。
 アメリカの大哲学者デューイの言葉である。
 〈池田名誉会長は、世界随一のデューイ研究センターを擁する南イリノイ大学力ーボンデール校から、名誉人文学博士号を受章している〉
 「人類というものは、一たび大権(たいけん)が手中にはいれば、どんな好い人でも、すべて自ら堕落して、大権を濫用(らんよう)するの趨勢(すうせい)をもっている。これは人類の一大欠点である」(永野芳夫訳・大浦猛編『デューイ:倫理・社会・教育 北京大学哲学講義』飯塚書房)
 ゆえに、権力は、常に青年が厳しく監視しなければならないのである。
 同じく、デューイいわく。
 「悪い人間というのは、今まで善であったにせよ、現に堕落し始めている人間、善が減り始めている人間のことである。
 善い人間というのは、今まで道徳的に無価値であったにせよ、善くなる方向へ動いている人間のことである。
 私たちは、こういう考え方によって、自分を裁くのに厳格になり、他人を裁くのに人間的になる」(清水幾太郎・清水禮子訳『哲学の改造』岩波文庫)
 まことに含蓄(がんちく)ある、深き人間観である。
 さらに、デューイの言葉に、「建設的力を生み出す最善の方法は、その力を実際に働かせることである」
「力は、活用と実践によって生まれる」(杉浦宏・田浦武雄編訳『人間の問題』明治図害出版)と。
 責任をもち、実践することによって、人は、真の力を発揮するのである。

■ 「7月3日」を記念して、愛する創価の青年たちに ──
 「君よ、正義の勝利王たれ!」
 「君よ、広布の勝利王たれ!」
 と呼びかけたい。
 さらに、創価の女性たちに ──

 「私の使命は
  広宣流布である
  私の使命は
  皆様方が幸福に
  なることである」

 との言葉を贈り、私の記念のスピーチとさせていただきたい。
 いよいよ、本格的な夏である。明るく、スカッとした振る舞いで、充実と勝利の日々を送りたい。
 皆さまのご健康とご長寿を、心からお祈りします。
 お達者で! ありがとう! (大拍手)