投稿者:ひかり 投稿日:2016年 4月 5日(火)22時59分8秒   通報
地区に来てました。悩乱チラシ。
自民党の、アレです。

壮年部の怒り・呆れがすさまじく
「誰がこんなもん!」「配る野郎はどうかしてる、捨てちまえ、バカにしやがって」「こんな事したってこちらじゃ自民党が票をくれた事がないのを、幹部が知ってるわけがない。歩かないんだから、内部しか」「これ以上恥をかかすつもりか、幹部が配れよ」等々、プンプン。
昨日、誰も手にしなかった、誰も持っていかなかった、そうです。
婦人部は絶句。

チラシの事を言うと、ひどく苦しむだろうとの思いやりで私に教えなかったそうです。

すでに、私が議員だったことや、昨年、極悪副会長その他幹部と公明党の無知で愚かな策謀で、彼等の不祥事の隠蔽のために、地域ごと犠牲になった、大変な事件が起き、地域全体(外部も)がメチャクチャにされたことなど、投稿しました。

地域の同志は、組織におもねるいい子ちゃん的一部の変人裏切り者を除き、皆が思いやりの賢い判断で私と家族を守ってくれております。本当に感謝しています。

きょうは、山奥に住まわれている92歳の元婦人部本部長Tさんのもとへ行きました。
Tさんが、辺境の天地でされた60年に及ぶ広布の戦いは誰にも真似できません。
正真正銘の金字塔です。

S54年4月24日、池田先生が辞任され、お会いしたくてお会いしたくていたところ、県で唯一Tさんが神奈川文化に招待された、その時のお話です。今まで言わずに封印していたそうです。

その日、神奈川文化で「ああ、ここに池田先生がいるのだ、お声だけでも聞きたい」と願っていたら、まだ誰も来ていない玄関で、娘と二人で、ばったり池田先生とお会いでき、夢のようだったと。両手を広げて「ようこそおいで下さいました」と仰る池田先生に、娘と二人、涙が滂沱。嬉しさで「先生」と言うのが精一杯。
先生はすぐに上の階に行かれ、しばらくすると、北条会長が玄関に。ネームプレートをつけてくれたそうです。
そのあと、全国で60名の壮年・婦人が神奈川文化に呼ばれたことがわかり、世界各国の料理で、もてなしていただいたそうです。
しかし、一方でTさんは、気が気でなくなっていました。
5ヶ月の身重の娘さんが、不案内なTさんの先導役をしてくれて、一緒についてきてくれたけれど、娘さんはロビーで待つ事もさせてもらえず、外に出され、ずっと両手で通せんぼ。
その様子が上の階の会場の窓からよく見えるものだから、不憫で可哀相になってしまったのだそうです。どこかで休んでくれたらいいのだけれど、娘も池田先生の近くにいたいのだと、その気持ちはよくわかる。ああ困った。
すると、いつの間にか娘さんが自分のそばに。
森田副会長がずっとついてきて下さったそうです。森田さんは、「池田先生のご指示です」と。

ところが、当日、同じ神奈川文化に来ていた県婦人部長の「フン」という態度。
地元に帰り、他の幹部に報告しても、良かったねの言葉もなく、信じられないほど冷たかった。
まるで無かったことのように無視され、いったいこれは何なのか。
ただの嫉妬だとして、こうも冷たくなるのか。
それで、Tさんは、誰にもS54年の事は一切言わない事にして今日まで来たそうです。

昨年、大白の取材を受け、特集に載ると言うとき、今こそ伝えようと、その時の貴重な話を、記者の方に詳しく、相当心を込めて話したけれど、その部分だけ全て割愛されていた。
「やはり」と思った。今もなのだ。

何という事がまかり通る組織だろうか、本当に先が思いやられる、とのことです。