投稿者:虹と創価家族 投稿日:2016年 4月 5日(火)09時18分10秒   通報
おはようございます。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/43151
>三代に違背する執行部はいりません<
強く同意いたします!

54年当時、池田先生は指導ができないならとピアノを練習され、ピアノ演奏で会員を激励されました。
それは、いかなる状況であろうと会員を護り抜くという一念からです。

功労者宅への訪問が始まる。
それは、当時の最高幹部が池田先生を辞任に追い込み、先生がご不在になった期間と言えます。
自分は当時を知らないため本で読むしかありませんが、涙なしでは読めないエピソードばかりです。

先生ご不在の闇を抜けた56年12月8日、大分。
入院中の老婦人が、先生にお会いするために空港に駆けつけて待ち続ける。
涙を流しながら「入院中の私には、先生の出席される会合の入場券は絶対に廻ってくることはないでしょう。せめて空港ならお会いできると思い、病院の許可をもらって外出してきたのです。遠くからでもいい。大分に来られた先生を迎えさせてください。」と。(吉村元佑著:人間の中へ)
病の身であると知りながら、誰もがその老婦人の涙を見たら、病院へ戻りなさいとは言えないのではないでしょうか。
先生と心で結ばれた老婦人にとって、先生を遠くから感じられるだけで生きる励みになるからです。

当時の姿が、今の池田先生と重なります。
昨日の聖教にもありましたが、先生が車で視察されるだけでも、どれだけ多くの会員が生きる希望を持つことでしょう。

自分は先生のお体の状態を考えると心配で仕方ありません。
しかし先生は体が動く限り、会員の為に激励の行動を起こされると思います。
どうか、お体に障らないようにと祈るしかありません。

だからこそ、正義の声を上げ理不尽な非難中傷を受けようとも、その功徳が先生の元へ届くなら、いくらでも非難中傷を受けようと思います。
日本や世界中で、更に理不尽な除名・査問を受けていらっしゃる方々こそが、先生に最高の報恩の戦いをしていらっしゃる!
皆様のご投稿を読み、自分も後に続かねばと奮起しております。
先生にして頂いた事は、山のようにありますが、先生の為に何ができたか常に自分に問いただしています。

昨日の紙面には、先生の写真も言葉もありませんが、自分にとってどれほどの励みになるか。
言葉はなくとも、ただ先生を感じられるだけで嬉しくなってきます。
本当に、自分は激励されるばかりの弟子です。
先生への恩は、更に山のように大きく、海のように深くなるばかりです。
だからこそ、恩知らずの幹部に対しては、爆炎のごとく怒りが湧いてきます!!

54年問題のご投稿誠にありがとうございました。
「共戦」あるのみです。