【所沢広布四十周年祝賀の埼玉県記念総会 平成三年八月十一日(大作全集七十八巻)】1

投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月11日(木)09時18分17秒 返信・引用

文永五年(一二六八年)の八月、日興上人は一通の訴状を記される。
それは「実相寺衆徒愁状」(実相寺大衆愁状)。
富士の岩本実相寺の院主(住職)らの悪行を五十一ヵ条にわたって弾劾し、院主の交代を幕府に要求された文書である。

当時、日興上人は二十三歳。青年であられた。
日興上人の、燃えたぎるような正義の心でつづられた直筆の御草稿は、今も残っている。
そこには、僧道を踏みはずし、人間道をはずした悪侶の姿が、一つ一つ克明に列挙されている。

聖職者はあまりにも堕落しきっていた――令法久住や信徒のことなど、いささかも顧みず、ひたすら金儲けに走るあさましさ。

たとえば、住民の大切な馬まで、かすめ取ったりした。また、みだらな宴会に遊び興じる見苦しさ。
さらには寺に勤める人や少年に虐待の限りを尽くす残酷さ等々――日興上人は、悲憤をこめて書き留めておられる。
悪侶の非道は容赦なく責められたのである。

「悪侶を誡めずんば豈善事を成さんや」(御書二一頁)――悪侶を戒めなければ、どうして善事を成し遂げることができようか。できはしない。――これが、大聖人の「立正安国論」に述べられた御精神であられる。

とともに、日興上人の正義の御法戦が、つねに悪侶によって弾圧されてきたことも忘れてはならない。
弘安元年(一二七八年)には、日興上人等四人が弘法の拠点とされていた四十九院の寺内から追放されるという法難が起きている。いわゆる「四十九院の法難」である。

本日は、くわしいことは略させていただくが、
四十九院の悪侶たちは、日興上人らを「仏法を学し乍ら外道の教に同じ」(御書八四八頁)――仏法を学びながら外道の教えに同じている――と訴えた。

そして突然に、また一方的に追い出したのである。
仏法者を迫害する《口実》として「外道」と決めつけるのは、いつの世も変わらない手口なのであろうか――。
いやしくも同じ法華経を奉じ、本来なら、ともに他宗を破折していくべき人間たちから、日興上人は「外道」呼ばわりされ、辱められたのである。

これに対し、日興上人らが即座に抗議書をしたため、真実の解明、正しき審判を主張されたことはいうまでもない。
正法の道を阻む悪侶の本質は、日興上人の時代も同じであった。
そして事実のうえから、不思議にも、日興上人の御精神、お振る舞いに、まっすぐに連なっているのが、私ども創価学会であると断言したい。
この学会の恐れなき前進、不屈の闘志を、日興上人も、どれほど御称賛くださっていることであろうか。

この四十九院に関して、大聖人は、こう仰せである。
「四十九院等の事、彼の別当等は無智の者たる間日蓮に向かって之を恐る小田一房等怨を為すか弥彼等が邪法滅す可き先兆なり、根露るれば枝枯れ源竭(つく)れば流れ尽くと云う本文虚しからざるか」(御書一四五三頁)

――四十九院等のことについては、その別当(一山の寺務を統轄する高僧)らは無知の者であるから、日蓮を恐れ、小田一房(四十九院の僧の一人と推定される)たちは怨をなす(迫害する)のであろうか。

これはいよいよ彼らの邪法が滅びる先兆(きざし)である。
「根があらわれると枝が枯れ、源がつきると流れが尽きる」と言われているが、そのとおりである――と。
仏法について「無知」であり、偉大な、正義の大聖人を「恐れる」ゆえに、狂気の迫害を門下に加える悪侶たち。しかし、この迫害こそ、彼等が滅びる《きざし》であるとの仰せである。

大いなる革命には、それだけ大きな反動がある。
しかし、それは悪い旧勢力が滅びゆく兆候なのである。
悪の《根》が露見してしまったら、もうそれ以上、栄えようがない。
もはや滅亡の坂を転げ落ちていくしかない。本当にかわいそうなことであるが――。

戸田先生は、大聖人の門下として、「真に民衆を救う宗教」を、また「真に大衆が幸福になる宗教」を、さらに「科学をリードして世界平和に貢献する宗教」を――と叫ばれた。
どうか、この《偉大なる宗教革命の正道》を、堂々と胸を張って進んでいただきたい。

大聖人はこう述べられている。
「其の時先さきをしてあらん者は三世十方の仏を供養する功徳を得べし、我れ又因位の難行・苦行の功徳を譲るべしと説かせ給う」(御書一四一五頁)

――(釈尊は)その時、まず、先駆けをする者は、三世十方の諸仏を供養する功徳を得る。私(釈尊)もまた成仏の因となった歴劫修行の難行・苦行の功徳をすべて譲る、と説かれた――と。

世界広布を阻もうとする天魔との戦い――それに先駆けする人の功徳は、測り知れないほど大きい。
三世十方の仏を供養する功徳、釈尊のすべての修行の功徳を、そのままわが一身に得られえるとの御文である。
もちろん、別しては大聖人の御事であられる。

仏法には《時》がある。
《時》を違えぬことが成仏のカギである。
御書に仰せのとおりの法華経の《敵》が現れた時、その時こそ最大の好機なのである。
三世にわたる自身の幸、不幸の軌道を決定してしまう。
退けば地獄、前へ前へ勇んで進めば、常楽の大境涯である。
この一点を自覚すれば、今、何をすべきかは明白であると私どもは信ずる。

また大聖人は、有徳王の例を挙げて、在家の行者の成仏の道を示されている。
有徳王とは、正法を守るために「破戒の諸の悪比丘」と「戦闘」したという王である。

「在家の諸人別の智行無しと雖も謗法の者を対治する功徳に依って生死を離る可きなり」(御書六八頁)
――在家の人々は、特別の智慧や、特別の修行がなくとも、謗法の者と戦い倒す功徳によって、生死の苦しみを離れることができる――。

この「謗法」とは、とくに「悪侶」をさすとされる。
在家は、いかなる修行にもまして、「悪侶」を対治することで、成仏すべきであるとの依文である。
また、「悪侶」の悪を破る勇猛なる信心、果敢なる実践――その功徳が、どれほど絶大であるか、どれほど強い、三世永遠の幸福境涯を開く原動力となるかを示された御文とも拝される。

【所沢広布四十周年祝賀の埼玉県記念総会 平成三年八月十一日(大作全集七十八巻)】