2014年9月10日 池田先生の指導です。 投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月10日(水)09時46分5秒 返信・引用 さて、ロシアのことわざに次のような言葉がある。 「すべてが過ぎ去って真実は残る」 「真実は黄金を塗っても、泥を塗っても、必ず、すべてが表に出てくる」 《悪の真実》を隠そうとして黄金で飾りたてても、逆に《善の真実》を隠そうとして、悪のイメージの泥を塗っても、時とともに、必ず一切が明らかになるものだと――。 また「真実を滅ぼせば、みずからが滅ぶ」ともいう。 新言継を踏みにじるものは、みずからの良心を踏みにじるものであり、みずからの人間性を滅ぼす結果になる。 ゆえに「真実」を味方に生きる人間は強い。一時はどうであれ、時とともに輝いてくる。 「真実」に生きる人生はすばらしい。だれが何と言おうと、心には満足の青空が広がっている。 なかには「御本仏がいらっしゃったのに、どうして、こんなにひどいことばかり起こったのか」と思う人がおられるかもしれない。 追放、投獄、財産没収、ぬれぎぬ、左遷。生命を落とした門下もいた。 これらに比べれば、現代はまだ良いともいえるかもしれない。 御本仏が厳然とおられた当時も、これだけの難があった。苦難の連続であった。 「幸せになるために信仰したのに、どうして……」と思う門下もいたにちがいない。 しかし、《仏法は道理》である。空想的な魔術か何かのように、ひとたび祈れば、たちどころに何もかもうまくいく――そんな道理はない。 広布は、どこまでも「現実」の中で、一歩また一歩、「善」を広げていく戦いなのである。 「現実」の社会には、複雑な人間模様が渦巻いている。 「三類の強敵」と説かれるごとく、真の法華経の実践者であればあるほど、敵も多く、攻撃も激しい。 また時代とともに、攻撃はより巧妙に、もっともらしく、思いもよらぬかたちで行われることもあろう。 「イメージ戦略」も《高度》になっていくと考えられる。 だからこそ、一切において「是」は「是」、「非」は「非」と明確に立て分け、見極め、 また反省すべきは反省しながら、「信心」だけは絶対に、いささかも揺らぐことなく、ただ前へ、さらに前へと進んでいただきたい。 【県・区夏季研修 第二回長野県総会 平成三年八月四日(大作全集七十八巻)】 Tweet