投稿者:陽光メール 投稿日:2016年 3月31日(木)01時17分9秒   通報
2015年9月11日。FNCCでの日本語研修会に参加した。その1週間前に長●氏より「永●理事長が私に会いたい」とのメールがあった。それはこちらも望んでいたことだったので、すぐに了承のメールを返信した。アポイントは9月12日で、永●理事長の講義が終わった後のランチ・タイムに決まった。その日は竜口の法難の日であった。

いろいろな質問をすると時間的に話がややこしくなると思ったので、私の質問は、1)御観念文の件と、2)本尊認定権についての学会の定義を知りたい事を主点において考えていた。

私の知る限り、研修会参加の永●理事長は通常1~2日参加して本部に帰るか、他の場所に移動することが多い。今回は、彼は、9月10日からFNCCに来ていたようだ。合計3日以上滞在することになる。珍しいことと思った。

研修会では永●理事長や他の幹部の導師で参加者全員が勤行をする。彼の勤行は力強く素晴らしいものである。しかし、御観念文の段になると、二座の「一閻浮提総与、三大秘法の大御本尊に南無。。。。。」云云と観念するわけだが、通常、私はその観念に8~10秒かかる。次の三座、四座の観念文に行くにしても、5~6秒ずつはかかる。ところが、永●理事長のご観念は早いのである。1秒もしないうちに、次々に移り引き題目。そして、鐘をガン・ガン・ガーンと鳴らして最終の引き題目三唱。うむ、早い。

その時、戸田先生の指導を思い出していた。「題目を唱える時は雑念等が湧いてきてもそれは致し方ないが、御観念の時は、注意しろよ。その時に念じることが君たちの祈りになる」(趣旨)というものであった。人は一旦癖をつけると直すことは難しい。永●理事長のこれは果たして癖なのか?または、会合の際は特別早いのか?等の疑問が生じてきた。この人は果たして祈念にどのような事を念じているのだろうと興味を持った。過去、理事長とは何回か勤行を一緒にしているが、御観念文の段についてはあまり気にしていなかった。今回の会則変更後には、深く注意を払うようになっていた。