2016年3月30日 投稿者:虹と創価家族 投稿日:2016年 3月30日(水)19時18分14秒 通報 編集済 全国代表者会議での名誉会長のスピーチ上・下より(2009.4.19・20聖教) 今から30年前の昭和54年(1979年)5月3日――。 私は、八王子の創価大学で〝会長辞任の本部総会〟を終えた後、学会本部へは戻らずに、そのまま神奈川文化会館へと向かった。 当時、学会は隆々たる発展を遂げていた。いわば〝絶頂期〟であり、これからが本当の総仕上げという大事な時期であった。 その時に、非道な迫害の嵐の中で、第3代会長を辞めざるを得なくなったのである。 〈この日、読売新聞一の朝刊に、日米の国民の意識調査の結果が掲載されていた。そこには、日本人が「最も尊敬する」日本人の名前が載っており、第6位に池田名誉会長の名前が挙げられていた。 1位から順に吉田茂、野口英世、二宮尊徳、福沢諭吉、昭和天一皇、その次が名誉会長であった) 私が第3代会長を辞任した背景には、学会の発展を妬み、私を陥れんとする宗門や反逆者たちの醜い謀略があった。 ゲーテは「多くのひとは、私欲で落伍をする」(前掲『ゲーテ対話録2』と述べたが、卑劣な反逆者の姿は、まさにこの言葉通りであった。 本気になって学会のため、正義のために戦う人間はいないのか。真実の味方はいないのか――。 あまりにも情けない無残な姿であった。本当に、人間の心ほど恐ろしいものはない。 思えば、その少し前の4月24日、私が会長辞任を発表し、信濃町の自宅に戻ると、妻がいつもと変わらぬ様子で迎えてくれた。 「本当にご苦労さまでした。健康でよかったです。これでまた、大勢の同志に会えますね」そう言って、微笑んでくれた。今でも忘れえひと得ぬ一コマである。 ■真実の歴史を 一、私は、会長として指揮を執ることはできなくなった。 しかし私は、牧口先生、そして戸田先生が命を懸けてつくられた学会だけは絶対に守らねばならないと、深く決意をしていた。私とともに戦ってくださった、多くの真実の同志を守り抜こうと心に決めていた。 少しでも長生きをして、もう一度、本当の学会をつくり、未来に残すのだ。その思いで立ち上がり、ここまで頑張ってきた。 あの会長辞任から30年。私が陰で、友のため、世界の広宣流布のために、どれほど心を砕き、手を尽くしてきたか。学会をここまで発展させるのに、どれほど壮絶な戦いをしてきたか。 皆さんには、真実の歴史を知っておいてもらいたいのだ。 私の心を知り、私と同じ心で、戦ってもらいたいのだ。 ■世界が舞台だ 一、八王子での本部総会の後、なぜ、私が神奈川へ向かったのか。 神奈川には、世界につながる海があるからだ。もう一度、世界を舞台に戦うのだ !――これが私の決心であった。神奈川の友も、変わらぬ心で迎えてくれた。 神奈川文化会館に着いた5月3日の夜、私は筆を執った。その時の揮毫を30年を経て、ここで披露したい。 それは「共戦」という二字である。脇書には次のように記した。 「五十四年 五月三日夜 生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを 信じつつ 合掌」 真実の同志――それとは、私と心一つに、広宣流布へ戦う皆様方である。 これまで、どれほど多くの忘恩の輩が出たことか。 私は戸田先生を守りに守った。先生亡き後は、先生のご家族にも最大に心を尽くした。一切を犠牲にして、妻とともに弟子の道を貫いた。 師匠が罵られ、中傷されても何の反論もできない。戦えない。そんな情けない弟子であってはならない。 その思いで生き抜いてきた。 未来に生きる皆さんは、私との「共戦」の人生を歩み抜いてほしい。頼むよ!〈参加者から「ハイ!」との力強い返事〉 (中略:ここから下) わが師と共に――この一念で、広宣流布へ進む人は、すでに胸中で勝っているのだ。 仏法は厳しい。 大難が襲いかかってきた時に、師匠の恩を忘れ、裏切るならば、峻厳な報いを受ける。 反対に、広布の師弟共戦は、晴れ晴れとした、永遠の幸福勝利の道なのである。 戸田先生は厳しく言われていた。 「師匠の戦いに後れをとるようでは、大聖人の仏法の真髄はわからないぞ !」 「師匠を師匠として認識できないような、失敗の人生にだけはなるな !」 この恩師の叫びを、未来を担うリーダーは、深く魂に刻みつけていただきたい。 一、真の信仰者には”難こそ誉れ”である。 仏法は、いかなる宿命をも転換できる、幸福の大法である。生命を根底から変革する力がある。民衆のための仏法である。 ゆえに、人々を意のままに操(あやつ)り、欲望を恣(ほしいまま)にしようとする「権力の魔性」からは、激しい反発を受ける。 正義の人が立てば、それを妬む邪悪な人間が出る。御書に「仏と提婆とは身と影とのごとし」(230ページ)と仰せの通り、釈尊の時代には悪逆の提婆達多がいた。 麗しい和合を壊し、尊き仏子を苦しめ、五逆罪を犯した。最後は無間地獄に堕ちた。 提婆達多は、教団の実力者であった。釈尊の声望を妬み、追い落とそうと、陰謀をめぐらしたのである。 広宣流布を阻む最大の仏敵は、教団の外ではなく、中に現れる。邪宗門と結託した反逆者も、そうであった。 日蓮大聖人は、提婆達多は「虚言(そらごと)」「虚証罪(こおうざい)」「大妄語(だいもうご)」であると指弾され、「妬む心が深く」(御書1349ページ、通解)、「名聞名利が深い」(同1348ページ、通解)と喝破されている。 広布を破壊する、提婆のごとき増上慢の人間とは、断じて永遠に戦い抜くのだ。 イギリスの哲学者、J・S・ミルは「だれが責任をとるのかを、だれも知らないときには、責任は存在しない」(水田洋訳『代議制統治論』岩波文庫)と論じている。 万事において、責任を明確にして前進していくことだ。 誰かがやるだろう。何とかなるだろう――そんな無責任で、臆病な人間になってはならない。 民衆がいじめられ、正義が踏みにじられているのに、何も言わない。叫ばない――そんな卑怯な人間に、絶対になってはならない。 ~~~~~~~~~~~~ これまでの、本幹同中での先生のスピーチの削除・改ざんから予想できますが、今回投稿した先生のスピーチも、いずれ削除・改ざんされると思います。 未来に残すべき大切な指導であり、創価学会を清浄化させる重要な指導です。 原田執行部にお聞きしたい。 このスピーチを全文本幹同中で放映できますか? 聖教新聞に全文掲載できますか? 幹部や職員は、声を大にして「広宣流布を阻む最大の仏敵は、教団の外ではなく、中に現れる。」と叫べますか? 4・24を前に弟子として命に刻むべき池田先生のスピーチです。 Tweet