投稿者:虹と創価家族 投稿日:2016年 3月25日(金)08時45分36秒   通報 編集済
おはようございます。

54年当時、念願の配達員に任命された義母が語る。
当時「これで、先生のお役に立てる」と希望に胸をふくらましていました。
そして配る新聞が4月24日「会長辞任」の新聞。
悔し涙を浮かべながら「どうにもならない憤りを抱えての配達でした」と。

54年当時の北条執行部(現、原田会長・秋谷議長)が、池田先生を会長辞任させ宗門からの要求を全てのみました。

〝先生と呼んではいけない〟〝聖教新聞に出してはいけない〟〝会合で指導してはいけない〟と、まさに先生不在の暗黒の期間は、当時の最高幹部により作られたと言っても過言ではない。

当時の流れを詳しく知りたいため多くの古書を探しましたが、書籍となっているものは、自分の知る限り以下の内容です。

【最終】広布第二章の指針 第14集
群馬センター開館3周年記念勤行会「旭日輝く信心、福運を」
昭和53年12月27・28日 高崎・群馬センター

【再掲載】広布と人生を語る 第1巻
「恩師と桜」大白蓮華 昭和55年4月号

昭和54年1月以降は聖教新聞のバックナンバーのみでした。
(もし、この期間のスピーチ等が書籍化されているのをご存じな方はご教授ください)

特に、4月24日以降の聖教新聞の内容は最悪で、先生不在の新体制の創価学会を喜ぶ幹部や記事で溢れていた(怒)
まさに忘恩の輩の群れ、人間として最低の姿!
絶対に忘れてはいけない最悪の幹部です!!

再掲載された「恩師と桜」を読み、先生の言葉が胸に焼き付きました。

『恩師によって拾われ、恩師によって育てられ、恩師によって厳たる信心を知り、また、仏法を学んだ私。さらに、恩師により、人生いかに生くべきかの道を教わり、恩師によって、現実社会への開花を教わった私―――。
 これこそ、私にとって、この世の人生の崇高なる劇であり、現実であり、確かなる青春の調べであったといってよい。その恩は、山よりも高く、海よりも深い。』
(全文は以下URL)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/23319

聖教新聞 地方版 千葉 (12月25日)より
『人間、誰にも負けないものがあればよい。私は権力も財力も何もない。たった一つ、戸田先生を思う気持ちがあるだけである』
http://6027.teacup.com/situation/bbs/35802

先生を思う気持ち、それは「師恩」から生まれるのではないでしょうか。

全国の54年当時を知る方の、ありのままの言葉が現場会員の師恩を強める。
一言「悔しかった」でもいい。54年問題を語る事が、池田先生への報恩になります。

四人組が恐れるのは、師恩を忘れない現場会員の言葉。
真実は永遠に朽ちることはないからです。

師恩があるから、会則改定も安保法制も受け入れない。
大恩ある池田先生を、何があろうと裏切らない。
自分が、池田先生の弟子として生きると決めたからです。

師恩があるからこそ、池田先生の敵と戦う勇気が生まれ、先生に絶対にご迷惑をおかけしてはいけないと、弟子の道を踏み外さない自分でいられます。

弟子として一人立つ信心で、今日も報恩の道を。