異体同心と破和合僧について 2/5 投稿者:陽光 投稿日:2016年 6月 3日(金)21時33分46秒

昭和54年4月24日。池田先生は三代会長を辞任された、いや、させられた。それは第一次宗門問題が勃発し、三類の強敵である僭聖増上慢が宗門に姿を現したのです。宗門は学会内部の裏切り者および最高幹部と結託して池田先生を排除しました。当時の最高幹部は、仏法・人生の師匠である池田先生を見捨て、出来上がった組織と彼らの保身を確保したのです。先生は当時の最高幹部10名が師匠を裏切った、と2007年にはっきり言われました。戸田先生の遺言で「第三代を守れ!絶対に一生涯守れ!広宣流布は必ずできる」と言われましたが、最高幹部は、第二代会長の遺言を無視して組織を守り、「時流には逆らえない」というアイヒマン的の究極的な言い訳をもって第三代会長を排除したのです。

池田先生は「学会は私を裏切ったが、私は学会を裏切らない」と言われました。戸田先生は「学会の組織は戸田の命よりも大切」と遺言されました。戸田先生と不二の池田先生は、死身弘法の戦いで反撃を開始され、SGI組織を作り上げられて今日に至ります。同時に、身に添う影の如く当時の最高幹部が醸し出した組織悪も学会に継続的にはびこって今日に至るのです。

学会の歴史の分岐点ともいえる54年(1979年)度問題は、先生を守るべく師弟不二の弟子がいなかったことに原因があります。保身のため最高幹部は師匠を裏切ってしまった。師子吼のごとく師匠と弟子が一体になって戦わない限り、強大な魔には打つ勝つことは出来ないのです。心のちょっとした隙間に魔は入り込み、掻き乱す。組織を守ろうとしても師弟不二の弟子がいなければ、仏法は滅びていく運命にあります。先生は、「あまりにも 悔しきこの日を 忘れまじ 夕闇せまりて 一人歩むを」と当時の日記に書き留められています。2010年の夏、先生が病気で倒れらた時、僭聖増上慢が学会内部から再び大きく姿を現し活動を始めました。広宣流布とは永続的に続く仏と魔の壮絶な戦いなのです。その時「出でよ!10万の山本伸一!!」の如く、法華経に書かれてあるように本門の地涌の菩薩が地から躍り出て来るのです。