2016年1月27日 投稿者:螺髪 投稿日:2016年 1月27日(水)08時56分14秒 通報 責任と信念の放棄でしょうね。マーケティング会社ですよね、アクセンチュアって。 人間革命にあったと思うのですが、戸田先生の時代に学会もラジオや新聞を使って大々的に世間に主張していく時代が来るのでしょうか、との質問に、 「やれるものならやってみなさい。そんなことで広宣流布ができるわけがない」(趣旨)ような話があったような気がします。 「信心で受け止めなさい」「信心の眼を開きなさい」…等々、むつかしいことは分からなくとも、この「信心」という一点で学会の骨格が出来上がってきたと信じています。その先頭を切られたのが池田先生です。「南無」ということも、「帰命」ということも、この「信心」の異名ではないでしょうか。 おそらく選択肢がないのでしょう。内をまとめることもできないし、保身もあるのでしょう。 資産の効率運用といったことだけならまだしも(それ自体も、元は浄財ではないかという話もありますが)、先生の書物や先生の価値までをも、マーケティングの対象としてしまうというのは、もう創価学会の存在をなくしてしまうのと同じです。草創の人はみんな怒ります。 Tweet