投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2015年10月21日(水)15時02分56秒   通報 編集済

池田大作全集(85巻)
創立の日記念第82回本部幹部会 (1994年11月12日)

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■この誇り「学会には大目的がある」

学会の誇りとは何か──。

戸田先生は、四十年前、女子部の総会の席で、明確に語られた。きょう(十一月十二日)の「女子部の日」を記念し、紹介したい。(昭和二十九年〈一九五四年〉十二月十九日、第二回女子青年部総会。『戸田城聖全集』第四巻。以下、引用は同書から)

「あらゆる宗教団体は、日本国には数多くある。そのなかで、誇りをもって宗教活動をつづけるものは、わが創価学会であります。なにを誇りとなすものか。それは、目的観がはっきりしている」

「数かぎりなくある宗教のなかで、目的観のはっきりしたものはない。いずれも、自分の宗派のために、自分のいうていることを種にして、営業するためにやっている」

戸田先生は鋭く喝破された。常に、一切の本質を見破っておられた。

「しかるに、わが創価学会は、目的観がはっきりしている」「日蓮大聖人様の御出現以来、広宣流布ということが大目的となっている」

「戸田城聖のためでもなければ、幹部のためでもなく、学会のためでもなく、ただ御本尊様のために、東洋広宣流布のために、いな世界のために、日本民衆に幸福を与えんとする大目的が、創価学会にあるのです」

「学会は(中略)世界最高の哲学を基礎として、民衆に幸福を与えるのであります」

民衆救済という「大目的」。それ以外、学会にはない。それこそ学会の誇りである。(拍手)

この戸田先生の獅子吼のとおり、学会には大目的がある。大哲学がある。この二つが微動だにしない。ゆえに、他の追随を許さない大発展を続けているのである。

社会は、天気が変わるように、常に変化に次ぐ変化である。渦巻く利害、虚栄、中傷。そんなものは悠々と見おろしながら、私どもは「民衆のため」「世界のため」「人類のため」に、新たなる時代を開いてまいりたい。「創価の大道」を堂々と進んでいただきたい。(拍手)

きょうの会合には、ブラジル、韓国、台湾など、海外からも多数の方々が参加されている。(創価国際友好会館で衛星中継)

遠いところ、ご苦労さま。心から感謝申し上げたい。韓国の皆さまをはじめ、海外の友は、本当によく頑張っておられる。見事な発展を、私は最大にたたえたい。

また、この会場の八王子の方々も、目覚ましい躍進ぶりである。東京一の実証を、これからもよろしくお願い申し上げたい。(拍手)

韓国が目覚ましい成長を遂げているのはなぜか。
結果には必ず原因がある。病気など悪いことにも、勝利など良いことにも、すべて原因がある。「原因は何か」を追求する──この姿勢が大事である。

韓国発展の原因は、一人一人の屹立した戦いがあるからである。韓国の友は、日顕宗の悪侶にいじめられたり、ありとあらゆる苦労をしてこられた。

そこから、「人を頼りにしない」「人に左右されない」、この覚悟の信心で進んでこられた。その信心に、無量の福徳が積まれてきたのである。

■韓民族独立運動の父「自分自身が人材になればよい」

「韓(朝鮮)民族独立運動の父」とたたえられる
安昌浩(アンチャンホ)
(一八七八年~一九三八年)。牧口先生とほぼ同年代を生きた彼は、日本の卑劣な侵略と戦い抜いた偉大なる闘士である。

彼は、何度も何度も投獄された。何があろうと″中途半端な寛容は無責任である″と、妥協することなく、悪との闘争を貫いた。

悪との闘争に中途半端はない。途中でやめるのでは遊びである。倒すか倒されるか──悪を倒し切るまで、徹底して戦う以外に勝利はない。

彼の戦いを思う時、私にはいつも、軍国主義に対して一歩も退かず戦い抜き、獄死された牧口先生の姿が、二重写しになる。

■彼について、こんなエピソードがある。

日本の暴虐との闘争また闘争。そうしたなか、「なぜ私たちには人物がいないのか?」との声があがった。

″もっと優秀な人物がいれば勝てるのに″と、皆が悩みに悩んでいたのであろう。しかし、彼はきっぱりと語った。

「私たちの中に人物がいないのは、人物になろうと決心して努力する人がいないからである。人物がいないと慨嘆するその人自身が、なぜ人物になろうと勉強・修養をしないのか」(李光洙著、興士団出版部編『至誠、天を動かす 大韓民族独立運動の父 島山安昌浩の思想と生涯』具末謨訳、現代書林)

環境ではない。自分である。人に頼ってばかりでは何もできない。自分が戦っていけばよい。自分の心が揺るがなければよい。

自分自身が厳然としている限り、希望があり、向上があり、勝利がある。そして、その人の後には、一人また一人、二人そして三人と続いていく。
状況の変化に一喜一憂して、愚痴をこぼす──これは″常勝将軍″の生き方ではない。

私は、何があろうと「愉快」である。
何が起ころうと左右されないし、何も恐れない。永遠に行き詰まらない。必ず、そこから勝利の道を開いてみせる。
信心とは無量の智慧であるからだ。

■また、フランスの同志も、意気軒高に活躍されている。そのフランスのヴィクトル・ユゴー文学記念館では、「ユゴーと人権」展が大きな反響を広げている。

「人権の闘士」ユゴー(一八〇二年~八五年)が独裁権力と戦い、追放されたことは皆さまもご存じの通りである。追放は、じつに十九年にわたった。(一八五一年~七〇年)

しかしユゴーは、この追放を、未来を見つめる格好の機会とした。そして、未来への壮大なビジョンをペンに託して、戦った。

一方、彼を迫害した権力者たちは、目先の保身に汲々とし、何のビジョンももてない。彼らは虚勢を張りながら、内心では、ユゴーの影におびえていた。

追い詰められているはずのユゴーのほうが、実は余裕しゃくしゃくと、人類史のはるか彼方を展望していた。境涯がまったく違ったのである。

戸田先生も、二年間、牢獄に入られた。しかし、その最低の環境のなかで、法華経を読み切られ、地涌の菩薩の使命を悟達された。
偉大な人物は、その場その場を、すべて″黄金の場所″に変える。これが人生の生き方の真髄である。

■ユゴーは、亡命の地にあっても、世界の情勢をつぶさに把握し、至るところに新たな歴史の光明を見いだした。それらの動きは、ユゴーの眼には、新時代の黎明として、はっきり映った。そして叫んだ。

「政界の近眼者流は目して火災と云ふ、余は黎明と云ふ!」(『追放』神津道一訳、『ユーゴー全集』9所収、ユーゴー全集刊行会)

″政界の「近視眼」の連中には、黎明を告げる事件も、単なる「火事」としか見えないであろう″と。

「正義」を信ずる人は、常に「未来」を確信できる。そして「未来」を確信する人は、「自由」と「解放」の心をもつことができる──これが、ユゴーの揺るぎない自信であった。

ゆえに、彼に悲観は無縁であった。彼は言う。
「逆境に在っては当に斯く叫ばねばならぬ、『希望! 希望! 又希望!』と」(同前)

いわんや大聖人の「太陽の仏法」を掲げる私どもは、希望に満ち満ちている。「太陽の仏法」で末法万年尽未来際を照らしゆかんとしている。

私は、入信当時から「創価学会の前途に、無限・永遠の希望を開かせたまえ」と祈ってきた。

今、二十一世紀の黎明は燦然と輝き始めた。
いよいよ希望に胸を張り、「楽観主義」の大行進をにぎやかに始めましょう! 陰険な悪を打ち破り、愉快に、また愉快に戦いましょう!(拍手)

■栄光の11・18「創立六十四周年」記念の本部幹部会を、全世界の同志、全日本の同志の皆さまとともに、重ねて喜び合いたい。本当におめでとう。(拍手)

各地の会館でも、各部・各種グループの祝賀の集いが開催されており、お祝い申し上げたい。

また、牧口先生、戸田先生のご親族の方々も、創価国際友好会館に、お元気な姿を見せてくださり、心から感謝申し上げたい。
終わりに、もう一度、韓国・台湾・ブラジルの研修メンバーなど十二カ国の同志の方々に最大の敬意を表し、本日のスピーチを結びたい。ありがとう!
(東京牧口記念会館)
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最高幹部に都合が悪い部分をカットし、内容の趣旨を変えています。まさに改ざんです!

投稿者:虹と創価家族

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