2014年11月15日 投稿者:ジョーカー 投稿日:2014年11月15日(土)14時42分50秒 学会員であろうと、政治的信条は千差万別 どこの党に投票しようと本来自由である 支援したければすればいいし、したくなければしなければいい 政党支援のために信心をしたわけではないのだから しかし問題は、ある一定以上の役職につくと支援時には報告があること やりたかろうとやりたかなかろうと、それは半強制的にやらなければならない 自分の受け持ちの組織に関しては、実際メンバーが投票に行ったかどうかも 確認して報告することになっているわけで そうなると、役職者は「今回は支援したくないので、やりません」とは言いづらくなる 実質的に、そこには自由は存在しないことになる 一切法が仏法であるがゆえに、当然支援活動も広宣流布の活動になりうる 厳密にいうと、すべての活動、行動が広宣流布につながってしまうのだが 例えば、近隣にあいさつすることだって、広宣流布の活動ととらえることも可能 学会員はすべて信心でとらえてくれて、支援活動だって嫌だろうとなんだろうとやってくれます 支援したいと思えないのは、それは公明党の力量不足以外の何物でもない つまり、魅力がないということ 公明党は学会員に守られすぎている 手取り足取りなんでもやってくれます なぜならそれが信心の戦いだから なんて都合のいい言葉なんでしょう 打ち出すほうも消化不良、打ち出されるほうも消化不良 それでもタイムリミットのある選挙は待ってくれない 所詮、選挙は数の世界 数字がでなければ負ける Tweet