2015年9月24日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 9月24日(木)11時52分12秒 通報 以上、同じ日に書かれたお手紙(熱原外護事)を見てきました。 「千日尼御返事・追伸」では、 法華経読誦の真意を説き、夫である阿仏房の成仏を教え、千日尼の信心を励まし、子の信心継承を喜んでいます。 また、追伸には、弟子が世話になっていることへの感謝が述べられ、弟子への言付けを託されています。 一方、「上野殿御返事(熱原外護事)」では、 時光が熱原で迫害されている神主を保護していること、神主を身延へ避難させること、 そして、時光への幕府等の圧迫を気づかって種々の指導をしています。 また「大田殿女房御返事(即身成仏抄)」では、 真実の即身成仏の法門は法華経に限ること、変毒為薬こそ即身成仏の義であること、 弘法等の3師は修羅根性の法門であると教えられました。 同じ日に書かれた3編のお手紙を見ても、身延での日蓮大聖人の行動は、 教学を根本としての人材育成と、多方面で孤軍奮闘している弟子たちへの指示と激励、門下信徒の受け入れ等、 まさに師と弟子が一体となっての連続闘争だったことが想像できます。 身延に入ってからは、大聖人に難が及ぶというよりも、 むしろ法華経の行者との自覚で立ち上がった弟子門下に難がおよぶようになっていったのです。 この現実から、大聖人は全国に配置している弟子に、もう一度 「日蓮仏法の真髄――法華経身読」を教えようと、9月15日から研修を開始しようと考えていたのではないでしようか。 学会教学の伝統は、教団統制のための戒律を厳格に守って、 すべての経典や御書を形式的、表面的に解釈する「訓詁註釈」ではありません。 学会教学は、日蓮大聖人と同じく経典の文言にとらわれるのではなく、 立体的にして融通のきく立場に立ち、釈尊の本来の精神に立ち返って経文を解釈するという「依義判文――義によって文を判ずる」です。 だからこそ、日蓮大聖人は「法華経身読」から「三大秘法義」を展開したのです。 法華経は古来から日本でも中国でも「諸経の王」として尊重されてきました。 法華経の中で釈尊は、悪世において法華経を世界に流布していくことを弟子達に繰り返し呼びかけているとともに、 法華経の思想を流布するならば、必ず社会から反発や非難、時には生命の危機に及ぶ弾圧があるだろうとも説いています。 Tweet