投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年10月 3日(土)00時35分1秒   通報

戸田先生
「なぜ会長になったのか。それは、私は妻も亡くした。娘も亡くした。そして人生の苦労を、とことんなめつくした。だから会長になったのだ。」

創価学会の会長は、広宣流布推進の責任者であり、重責中の重責です。もしも誤った判断を下したら、取り返しのつかない事態に陥り、場合によっては広宣流布そのものを破壊しかねないポジションである。故に、信心あることは当然として、人格も研ぎ澄まされている人物が就かなければならないのは至極当然である。その重責なるや、一会員には想像がつかないものであり、激しい魔も吹き荒れる。

トップが威厳を失うと、その組織はダメになっていく。そして威厳とは、羅針盤(三代会長の指導)通りに航行してこそ保たれるものであり、勝手な判断で舵取りをはじめたら大変である。そうならないためにも会員は会長を支えていかなくてはならない。即ち、「先生の指導と違うではないか」と叫ぶことが、本当の意味で会長を守ることになり、しいては、それが学会を守ることにもつながるわけです。

トップが道を踏み外さないように、会員が指摘をしていく。そして会員の声にしっかり耳を傾ける。この関係が崩れ、トップが一方的な姿勢をとるようになったら黄信号である。今現在、どれほど聞く耳があるだろうか。「会長が上、会員が下」にならないようにするためには、不断の戦いが必要である。絶対に威張らせてはならない。

どんな人間がトップに立とうとも、一応は守っていくのが会員の矜持というものではありますが、もちろん限度があります。まだまだ創価学会の中には、無名の池田門下(隠れキャラ)が沢山いるので、その人たちを絶対に怒らせてはなりません。宿坊の掲示板はそういった隠れキャラを呼び起こす、伏線になっていると言えようか。この先いかなる事態になろうとも、隠れキャラたちがすべてをひっくり返し、創価学会を発展させていくことでしょう。

創価三代の精神を受け継ぐ人間がいる限り、創価学会は滅びない。54年を機に、師が一人立ち、戦いを開始されたことが火種であり、その炎は消えない。因があれば果は必ず生じるように、受け継ぐ人間は現れる。それが師の確信であり、その思いに応えてこそ、真の池田門下と言えよう。