2014年12月27日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2014年12月27日(土)08時58分50秒 このように「二十行の偈」の最後は、僣聖増上慢と権力の結びつきで終っています。 ここで注視すべきは「悪は結託する」ということです。 利害と利害が一致し、自分の分け前を得るために団結の姿を示して 「悪の連合軍」になっていきます。 一方、善は利得に無縁です。そのため孤立してしまう。 この悲劇を転換するためには、善が団結しなければなりません。 「仏と提婆とは身と影とのごとし生生にはなれず」(二三〇頁) ――極善の仏と、極悪の提婆とは、 身と影のごとく生々世々、永遠に離れることはない――とありますが、 「身と影」の実態は同じものです。 見方を変えれば、善悪は表裏一体というものではなく、縁によって善にも悪にもなります。 これが善悪不二の生命の実相なのです。 「身」が行動している限り「影」はつきまといます。 自分が極善の心で三類の強敵と戦うか、それとも極悪の心に支配され、 三類の強敵になって法華経の行者を迫害するのか、誰もがどちらにも、成り得る可能性があるのです。 それは学会においても例外ではありません。 学会組織といっても、それを運営しているのは人間である以上、油断をすれば、 必ず内部の人の心に、三類の強敵が侵入し、学会組織を攪乱していく危険性があります。 いわゆる「悪鬼入其身」(九五八頁)です。 また「外道・悪人は如来の正法を破りがたし。仏弟子等必ず仏法を破るべし。 師子身中の虫の師子を食等云云」(九五七頁)と断言しています。 外道や悪人は、学会を潰すことは出来ません。学会を潰せるのは学会員だけです。 だからこそ、学会の中で、学会と共に前進し、学会を守り抜き、 同志と苦楽を共にしていくことが大事となるのです。 学会を離れて広宣流布はありません。 戸田先生が「学会の組織は戸田の命より大事だ」と言われた意味もそこにあるのだと思います。 ・・・・・・明日につづく。 Tweet