投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 8月19日(水)00時01分9秒     通報
一人ひとりの会員が自立した信心となり、自分の頭で考えるようになればなるほど、指揮を執る人間のレベルも問われてきます。所謂、創価エリートでは通用しないどころか、足を引っ張る存在になってしまう。これからは本物の時代であり、生半可なリーダーでは広宣流布を推進することはできないでしょう。

地べた這いつくばり、辛酸をなめ尽くして身に付けた本物の「人間力」は元より、打ち出し一つとっても、「納得性」があり、配慮のあるものは必須です。雑なパワープレイなどで人が動くような時代ではなく、痒いところに手が届くようでなければ話にならないでしょう。官僚的な創価エリートでは、かえって現場のやる気を奪い、邪魔になってしまう。話を聴くことのできない創価エリートはまだまだ多く、会員の善意と我慢と信心によって支えられているのが今の創価学会でしょう。そのことになかなか気付くことができないのが創価エリートであり、気付くことができてやっと一歩目といったところです。

創立者である池田先生は、「学園生、創大生は、私の命よりも大切である」と常々言われます。激励の数も他に比類なきであり、私自身も度々激励していただきました。「創立者にしか創立者の気持ちはわからない」とも言われ、学園生、創大生にどれほど期待されているかは計り知れないでしょう。学園生、創大生であるということに誇りをもち、創立者の期待に応えんと奮闘する人は多くいます。一方、世間知らずの創価エリートを養成していることも事実です。変に熱いメンバーもちらほらおり、その空気や熱さについてこれず、距離を置く人もいます。良くも悪くも「特別意識」が芽生えやすい環境とも言えましょう。

本部は元より、学園や創価大学もまた伏魔殿です。一番大丈夫と思われるところが一番危なく、魔の巣窟なのです。平和のフォートレスであるのと同時に、第六天の魔王も輩出します。そして第六天の魔王は、創価エリートとなって現れます。特別意識が勘違いを生み、提婆達多へと変貌していくので、学園生、創大生はこのことを意識し、注意していくことをおすすめします。

結局は、いかなる立場であろうと、人生の辛酸をなめ、ボロボロになって、そこから這い上がってきた人間でないと本物ではない。最高幹部でありながら、難に遭うこともなく生きていけるようではダメなのです。

師弟の宝冠VOL,5より
「真の功労のない人間が上に立てば、そこから崩れていってしまう」

自分の命削らずして人を感動させることはできない。そして磨かれた人間力というのは、気配りとなって現れます。今、体制側にどれほどの気配りがあるというのだろうか。まことに残念なレベルであり、まさに創価エリートの為せる業といったところでしょう。

創価エリートの終焉こそが時代の潮流であり、今が転換点でしょう。私自身、「本物の信心」をテーマにしています。まだまだ未熟であり、さらなるレベルアップの必要性を感じています。