投稿者:KS部OB    投稿日:2015年 7月31日(金)00時36分49秒     通報
【5・3記念代表者会議】(2006・4・25)

まもなく、我らの「5月3日(創価学会の日)」である。おめでとう!
天もまた、広宣流布という天命に生き抜き、戦い抜く、創価の同志を祝福してくれているかのようだ。
先ほどは春雷が響いた。
「いやだな」と思った人もいれば、「天の万歳ですね」と言う人もいた。
同じ現実であっても、その人の境涯によって、とらえ方が違ってくるものだ。
ともあれ、人生にはさまざまな出来事が起こる。そうした一つ一つを、いかに価値的にとらえ、希望の方向へと向かっていけるか。皆を幸福へとリードしていけるか。そこに仏法の智慧が光る。

学会は本年の「5・3」も、皆さまのおかげで、全戦全勝、連戦連勝で迎えることができた。ありがとう!(大拍手)
「勝って兜の緒を締めよ」である。
新たな決意に立って、来年の「5・3」、さらに10年後、20年後の「5・3」を目指して出発したい。
これからは青年部の時代である。女子部の時代である。
本年から、一段と大きく変えていく。私は今、新しい時代、新しい学会をつくるため、一つ一つ手を打っている。
青年部の諸君、女子部の皆さん、万事よろしく頼みます!(大拍手)

現在、創価の哲学への共感が、全世界に広がっている。
国家からの顕彰や、世界の名門大学からの名誉学術称号の通知も寄せられている。
これらの栄誉は、すべて皆さんのものである。皆さんが、真剣に、粘り強く広布のために戦ってくださっているおかげである。偉いのは皆さんである。これが、私の本心である。
世界から相次ぐ顕彰は、皆さんの子孫末代までが、燦然たる栄光に包まれゆく一つの証であることを確信していただきたい。ここに、妙法の不可思議な因果の理法がある。

このほど、中国・遼寧師範大学の曲慶彪学長が、「5・3」を祝うメッセージを寄せてくださった。
その一部を、紹介させていただきたい。
「中国の伝統文化において、『五』と『三』は吉祥(=めでたいこと)を表し、深い意義を有する数字です。
『五』は『福』と(中国語の発音で)母音が同じです。また、『五穀豊穣(=あらゆる作物が豊かに実ること)』『五福臨門(=あらゆる福が訪れること)』などの言葉があります。
『三』は、さらに多くの意義を含んでいます。
『天・地・人』を『三才』と称しますし、『君子に三立あり(徳を立てる・功を立てる・言を立てる)』『歳寒三友(=松・竹・梅のこと)』という言葉もあります。
『一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず』とも言います。
このように『三』は、“万物を育みゆく、尽きることのない至高の哲理を象徴する数字”と考えられているのです。
5月3日は、第3代の池田会長に、神聖なる使命を授け、創価学会に大発展の契機と未来を与えた記念日であると信ずるものです」
学長の真心こもるメッセージに、心から感謝したい(大拍手)。
〈遼寧師範大学は2001年10月、名誉会長に、日本人初となる名誉教授称号を授与。同大学には、名誉会長の思想研究機関「池田大作平和文化研究所」がある〉
このほか、世界の識者から続々と祝福の声が寄せられている。
法華経には、普賢菩薩が悪世末法に法華経を弘める行者を守ると誓ったことが説かれている。
全世界の最高の知性から寄せられる共感は、普賢菩薩の力用に通じる意義を持っているとも言えよう。

わが青年部の結成55周年、おめでとう!(大拍手)
私は、次代を担う青年リーダーを、がっちりと育成してきた。学会の未来は盤石である。
戸田先生はよく、「信頼できるのは青年しかない」と言われていた。
戦時中、戸田先生が獄中にいる間に、ほとんどの幹部が退転した。先生は年配の壮年たちに裏切られた。そうした苦い経験があった。
口ばかりで実行の伴わない年寄りは信用できない。金、権力、名声をめぐってすぐに争い合う。だから気をつけろ!信じられるのは青年だけだ ── と。
まもなく、55周年を記念する青年部大会が全国各地で行われる。
首都圏では、代表が一堂に会しての大会を盛大に開いた後、各地の会館でも若き広布の英雄たちが集い合う。
どうか、無事故の運営をお願いしたい。事故を起こすのは愚かである。
あらゆる点に目を配り、断じて事故を起こさないよう、万全の準備をしていく。それがリーダーの責務である。
青年時代から、私はすべての責任を担って、無事故に心を砕いてきた。
とくに、大勢の人が集まる場合は、細心の注意が必要である。また、無理をして大勢を集めるより、もっと価値的な方法を考えていったほうが良い場合もある。
絶対無事故を勝ち取ること。それが、まず第一の勝利なのである。
首都圏の後は、全国の各方面でも、順次、青年部大会が開催される。
きょうは、方面の青年部長、女子部長も参加されている。
どうか、集まってくれた人が皆、「楽しかった!」「来てよかった!」と思ってくれるような、有意義な青年部大会にしていただきたい。
絶対に無事故で、大成功の大会となることを、私も祈っている。すべてを見守っている。
壮年部も、婦人部も、皆で応援していこう!
総力をあげて、輝く歴史をつくり残していただきたい!(大拍手)
青年の時代である。
学会においても、社会にあっても、青年が焦点である。
青年をどう伸ばすか。どう育てるか。どう位置づけていくか。ここに先手を打ったところが勝つ。
学会は、本年から一段と、青年に注目し、青年に焦点を当てていかねばならない。そういう時代に入ったことを深く知っていただきたい。

幹部は、会員への奉仕者である。決して偉ぶったり、いい格好を見せようとしたりしてはいけない。
だれが広布のために戦ったか。だれが学会に尽くしたか。その人が、一番、偉い。そう見ていくのが正しい見方である。仏法の見方である。
いくら高い地位を得ても、また役職に就いても、成仏できなければ意味がない。
一生成仏 ── それが仏道修行の本質であり、究極であり、原理であり、根本である。それを知り、教えていくのが真の賢者である。

私は、新たに、アメリカの宗教研究の第一人者である、ハーバード大学のハービー・コックス教授と対談を開始した。
教授とは、これまで東京で語り合ったほか、私がハーバード大学で講演を行った際も、深い交友を結んだ。
対談のなかで教授は、宗門が学会を“破門”したことについて、こう述べておられた。
「宗門と決別したことは、おそらく創価学会に起こった最良の出来事でした。
あの出来事は、当初は悲劇に見えたかもしれませんが、今では間違いなく建設的な展開になっています」
学会は“破門”によって、宗門の権威主義、文化否定の排他主義から解き放たれた。万人に開かれた「世界宗教」として、大いなる飛躍を成し遂げた。
学会は、邪宗門からの迫害を、厳然と変毒為薬したのである。
また教授は、かつてこう語っておられた。
「キリスト教文明とイスラム教文明の協調には、多くの困難があります。ゆえに私は仏教に、そして池田会長に、その橋渡しをお願いしたいのです」
学会には、文明と文明を結び、人類の平和な未来を開く壮大な使命がある。それに向かって、一歩また一歩と前進している。世界の良識は、私たちに大きな期待を寄せてくださっているのである。

今年の夏、中国3億7千万人の青年の連帯である全青連(中華全国青年連合会)の招聘を受けて、学会から200人の青年部を中国へ派遣することになった。
きょうは、その代表が参加している。
私はこれまで、日中友好の道を真剣に開いてきた。若き青年部の諸君に、その道に続いてもらいたい。断じて、万代にわたる友好を築いていただきたい。
最高に有意義な、実り多き交流となることを念願している。訪中の大成功を祈り、皆で拍手を送りたい(大拍手)。

ここで、戸田先生のご指導を紹介したい。
戸田先生は本当に偉大な指導者だった。
先生は、師である牧口先生とともに牢獄へ行った。日蓮大聖人直結の信心を貫かれた。
牧口先生は牢獄で亡くなられた。戸田先生は生きて牢獄を出られて、一人、広宣流布の闘争を開始されたのである。
戸田先生の指導は、一つ一つが本当に大事である。
先生は言われた。
「金銭にいい加減な人間は絶対に信用できない」
「師子身中の虫は危ないから気をつけよ!」
「外の敵よりも師子身中の虫のほうが大罪と知れ!」
外ではない。
内部から食い破り、広宣流布の組織を破壊する ── それが師子身中の虫である。「破和合僧」であり、仏法上の重罪である。
御書には、「外道や悪人は如来が説いた正法を破ることはできない。仏弟子らが、必ず仏法を破るのである。『師子身中の虫が、師子を内から食う』といわれる通りである」(御書957ページ、通解)と仰せである。
我らは「師子身中の虫」を、鋭く見破り、打ち破っていかねばならない。
また、戸田先生は言われた。
「渉外・外交で鍛錬された人間でなければ、幹部にしてはならない」
深いご指導である。
敵とは断じて戦う。味方を増やす。誠実と智慧と勇気で、勝利への道を開いていく。
それが渉外だ。
私は、戸田先生のもとで学会の初代渉外部長を務めた。徹して訓練を受けた。
だから先生のおっしゃる意味がよくわかる。

御書には「異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし」(御書1463ページ)と記されている。
戸田先生は、こうした教えを通しながら、こう語っておられた。
「異体同心ならば叶わないことはない。その逆ならば、何であっても壊れてしまう」
信心の団結があれば、何でも成し遂げられる。必ず勝っていける。
反対に、皆の心がバラバラであれば、すべてが失敗する。負けてしまう。
さらに、戸田先生のご指導を紹介したい。
「学会の創始者であられる牧口先生の精神を、学会本部にとどめ、讃嘆し、宣揚し、敬愛していくのは当然ではないか。
広宣流布の団体として発展していくための、基本中の基本である」
戸田先生は、牧口先生を最大に宣揚された。その死身弘法のご精神を後世に伝えようと、それはそれは真剣であられた。
時には憤怒の涙を流して、牧口先生の殉教について語られる先生のお姿を、私は忘れることができない。

また戸田先生は、青年に期待するがゆえに、青年に厳しかった。のこのこ遅刻してきた人に、「大事な戦にあって、師匠より遅れるとは何事か!そんな人間とは一緒に戦えない!」と叱責されたこともあった。
私も、当時住んでいた大田区小林町から、先生のもとへ、懸命に馳せ参じたことが懐かしい。
小林町の自宅は、小さな家で、初めは塀もなかった。私が第3代会長に就任した後、訪ねてきた人が、”会長の家が、こんなに小さいはずはないだろう”と、わが家の前を通り過ぎてしまうこともあった。
自分のことよりも、同志のため、学会のために ── そうやって、一切を捧げてきた。
どれほど質素で、どれほど誠実に、どれほど学会を守ってきたか。この真実を、未来を担う青年部の諸君に、ありのままに語っておきたい。

さらに戸田先生の指導を続けたい。
「組織の各部門が、それぞれ磨き上げられた強靱な歯車となって、たがいにぴたりと噛み合って回転する時、はじめて組織が、生き生きとする。それが、幸福と安泰と勝利のための回転となるのだ」
皆の幸福と安泰と勝利 ── これが学会の組織の目的である。
それぞれの役割で全力を尽くす。そして団結する。この二つが、皆を守る組織、強い組織をつくる要諦である。
「幹部のなかには、いかにも大物ぶって、超然としている者もいるが、他人まかせではいけない。
細かな問題にも気がつくようでなければ、本物の指導者とはいえない」
その通りである。妙法の世界は平等だ。広布のために実際に動く人、結果を残した人が偉いのである。役職を持っているから偉いのではない。それを勘違いしている幹部がいれば、正さなければならない。
「言葉づかいというものは気をつけねばならぬ。聞くほうも、言うほうも、感情のもつれは言葉づかいから起こることが多いから、気をつけねばならぬ」
これも先生が常々、おっしゃっていた。「言葉」で、人の「心」は動く。
とくに広布のリーダーは、丁寧な言葉づかいを心がけることである。
「衝立や小部屋をつくっていくような仕事場は、陰をつくるような結果を生むから、注意しなくてはならない」
戸田先生は、大きな部屋で、だれが何をやっているのか、一目で見渡せる職場を好んでおられた。私もそうである。
中心者が皆を把握できない、何をやっているのかわからないような部分があれば、そこから油断が生じ、魔のつけ入る隙を与えてしまう。
そうした「死角」をつくってはならない。

ここで、女子部に対する戸田先生の指導を拝しておきたい。
戸田先生は、女子部の友に愛情を注ぎ、また、厳しく育てられた。
「女性はたえず勉強し、忙しいなかにも御書を開いて、大聖人の教えにふれ、学び取っていきなさい」
たとえ忙しくても、御書を開く。御書を学ぶ。これが大事である。
また、「謙虚に、あらゆることを私から吸収していきなさい。なんでも聞きたいことがあったら、率直に聞きなさい」とも、「信心でぶつかってきなさい」とも言われていた。
そうして、全魂を込めて育てられた女子部が、婦人部の中核となって活躍してきたのである。
一人の立派な女子部が立てば、一家も変わる。結婚した場合には、子どもや夫の家族をも、皆、幸福にしていける。
先生は女子部の友に、こうも言われていた。
「貴女たちは、最も高く広大な大理念を抱いて、強い確信に立ち、世界の広宣流布を使命として前進していかねばならない」
世界広布をわが使命とする女性に! ── 先生の話には、大きなロマンがあった。
この言葉通りに、今、世界の各地で、女性リーダーたちが、はつらつと広布を進めている。
戸田先生は、“女性は家庭に入れば、それでいいんだ”というような、ちっぽけな指導は、されなかった。
そういう狭い考えを持てば、いつしか自分の身の回りのことしか考えないような、狭い境涯になってしまう。
私たちは、広宣流布という壮大な理想を掲げている。妙法という最高の哲学を持っているのである。
未来を担う女子部の皆さんもまた、大きな視点で、大きなスケールで、わが人生、わが使命を開いていただきたい。
また、「家庭でも、職場でも、その足元のグループに慕われる自分でなくして、なんで指導者になれるか」とも言われている。
大きな理想を持ちながら、身近な場所で信頼を築きゆく人であっていただきたい。
ともあれ、広宣流布の戦いにおいては、女性を第一に考え、大切にしなければならない。また、女性を絶対に叱ってはいけない。
広布に戦う女性の家族にも、温かい心配りをしていく。これは戸田先生の心であり、私の心である。

さらに、箴言を紹介したい。
世界各地で、健気に戦っている同志がいる。
私は、さまざまな境遇にある世界中の友に、少しでも多く、勇気と希望のメッセージを送りたい。この思いで、いつも語っている。皆さんも、そうした気持ちを汲んで聞いていただきたい。
ゴルバチョフ元ソ連大統領のライサ夫人は、「私は、人は信仰がなければ生きられないし、それが人間性を作ると信じています」と述べておられた(山口瑞彦訳『ゴルバチョフとともに』読売新聞社)。
信仰について、人生について、国家について ── ゴルバチョフ氏夫妻と、さまざまに語り合ったことが懐かしい。学会の思想、行動を、高く評価しておられた。
今、ロシアの大地でも、SGI(創価学会インタナショナル)の友が生き生きと活動している。
「宗教的な深みのない生活は薄っぺらなものです」(湯愼ます監修・薄井坦子他編訳『ナイチンゲール著作集第3巻』現代社)
これは近代看護を開いたナイチンゲールの言葉である。
薄っぺらな考えでは、平和のための戦いなどできない。また、真の平和を目指す運動は、深い宗教性を持つものである。

16、17世紀に活躍した、スペインの作家セルバンテスといえば ──名作『ドン・キホーテ』で知られる。そのセリフにこうある。
「気取るのは何にかぎらずよろしくないからな」(永田寛定訳『ドン・キホーテ続編(二)』岩波文庫)
気取らないことだ。見栄や格好では、人の心はつかめない。決して長続きもしない。
ありのままの自分でいくことだ。「本有無作」の振る舞いで最高に輝いていくのが仏法である。
根本は「真心」である。「真剣」である。「誠実」である。真実一路で進んでいくのだ。その人が最後は勝つ。

恩師も愛した『三国志』の英雄・諸葛孔明の兵法の一つに、「要は頭を使うことだ」(慮をもってあい備え)とあった(守屋洋編訳『諸葛孔明の兵法』徳間書店)。
広宣流布も、一面は「智慧の戦い」である。
大事なことは、指示されるのを待つだけでなく、自分で考えることだ。受け身ではなく、主体者になることだ。その一点の転換によって、無限の智慧が湧き出てくる。
有名な冤罪事件である「ドレフュス事件」において、容疑者を弁護して戦った19世紀フランスの作家エミール・ゾラ。
議会も世論も、あらゆるものが敵に回ったと思われるような状況のなかで、彼は、こう叫んだ。
「私の味方として残っているのは、もっぱら思想であり、真実と正義の理想である。今、私はきわめて穏やかな心境にある。私は勝つであろう」(小倉孝誠・菅野賢治編訳『〈ゾラ・セレクション〉第10巻時代を読む』所収「陪審団への宣言」、藤原書店)
我らの広宣流布もまた、壮大なる思想戦である。学会の中にこそ、人類の宿命転換をも可能にする偉大な思想がある。究極の真実と正義の理想がある。最強の味方がついているのだ。
ゆえに、断じて負けることはない。断じて勝っていける。
この崇高なる使命の学会から離れて、本当の幸福はない。真実の栄光もない。
それは、惨めな退転者の末路を見れば明らかである。
妙法とともに!
学会とともに!
同志とともに!
ここにこそ、人生の最極の栄冠が光る。これが私たちの大確信である。
ともあれ、皆さま方のおかげで、本年の「5・3」も大勝利で迎えることができた。どうか、健康第一で、団結第一で、明年の「5・3」へ、一切の闘争を大勝利で飾っていただきたい。
昭和54年(1979年)の5月3日、私は、ただ一文字、「誓」としたためた。それは、私が第3代会長を辞任した直後の本部総会の日であった。
師弟の「誓」に生き抜く限り、恐れるものなど何もない。
皆さま方の勝利を、ご一家の勝利を、そして、あらゆる闘争の完壁なる勝利を強く深く祈っています。よろしくお願いします!(大拍手)

創立80周年へ、各地の会館はもとより、学会本部周辺の整備にも一段と力を入れてまいりたい。
本部に来てくださる全国の同志の皆さま方に少しでも喜んでいただけるように、また防災のことなども考えて、私も真剣に手を打っている。すべては、会員同志の皆さま方のためである。
思えば、今の学会本部に、会長室をつくるとき、私は、なるべく質素なものでいいと関係者にお願いした。
この小さな会長室には、昭和35年(1960年)の5月3日、第3代会長に就任したその日に詠んだ和歌が、今も掲げられている。

栄光と
勝利の旗も
堂々と
広宣流布の
金の城かな

さらに、会長室には、2003年の2月11日、恩師の生誕の日を祝して詠んだ歌も置かれている。

風雪の
激しき法戦
幾歳か
山越え 勝ち越え
創価の城かな

そして、昨年の元旦に詠んだ歌も。

広宣の
本陣 厳たり
勝ち戦
勝利の道は
三世の果てまで
また、私の変わらぬ決意として、次の和歌も掲げられている。
わが運命
かくもあるかと
決意せば
惑うことなし
恐れることなし

なお、会長室には、法華経の一節「心大歓喜(=心は大いに歓喜す)」と記した扇面の和紙も飾られている。
この「心大歓喜」とは、法華経に繰り返し記された言葉である。
とくに、あの若き竜女が、仏と成って、人々のために妙法を説きゆく姿を見て、娑婆世界の菩薩たちが、心は大いに歓喜して、敬礼を捧げたと説かれている(提婆達多品)。
わが女子部の活躍もまた、広宣流布の世界の「心大歓喜」の源泉なのである。
この一節を留めた和紙を、女子部の大発展を祝福して、まもなくオープンする創価女子会館に飾らせていただきたい。
新会館の誕生、本当におめでとう!