2015年7月7日 投稿者:正義の走者 投稿日:2015年 7月 7日(火)11時48分10秒 通報 いつも誠実なお心溢れるご投稿、ありがとうございます。 こんなことを言いますと、またどなたかに「小うるさい事を言うな!」 と、叱られそうですが、大事な掲示板だと思うがゆえに一言書きます。 「融通無碍」について、仰りたいことはよくわかりますが、「本・迹」を 御本尊と我々衆生との関係に喩えるのはいかがなものでしょうか。 仏法で言う本・迹は「約身・約位」と言われるように、その使われ方は 定まっています。最近は何でも現代的に解釈しようとしますが、そこにはやはり 危険が伴っています。 ジョーカーさんの説示は、「父親と母親とど っちが大事か?」との質問と同じで、 比べるべきものでないものを、無理に本迹で説いているいるようです。 例えば、諸法実相抄なども一見、仏と衆生との相対のように読めますが、 実には、本因・本果、種脱の相対についてその本迹を述べたもので、 これを単なる「仏と凡夫の本迹互為」だと言えば、これはもう中古の本覚論と同じです。 (この辺が偽書説の原因にもなっています) なんでもかんでもやかましく言うつもりはありません。 ジョーカーさんだからこそ、折角の御高説を大事にして頂きたいと思い、 一言書きました。 あしからず。 Tweet