投稿者:信濃町のネット対策チームの対策   投稿日:2015年 6月29日(月)15時31分52秒     通報
信濃町のネット対策チームの対策です。

今回と次回の2回に分けて公明党の北側副代表の説明の「変節」についてお知らせします。

「1年前」と「現在」です。

政党・議員は目下の課題を克服することは勿論、国家の大きな方向を決めることも大切な役目です。

公明党は憲法学者を憲法の条文に拘泥していると馬鹿にしています。

自分達、議員は責任を持って国を守るとの説明をします。

しかし北側副代表のように1年前と現在で180度近く説明が変わる人間で国を守れますか?

見る方の境涯にもよりますが北川副代表の「顔の相」の違いも比べて下さい。
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公明党の北側副代表に聞く 公明新聞2014年4月26日
公明党ホームページより転載
https://www.komei.or.jp/news/detail/20140426_13831

―今の集団的自衛権の議論をどう見るか。

北側一雄副代表 「集団的自衛権の是非」という抽象論に走りすぎていると思います。議論の順序としては、まず、安全保障上の環境が大きく変わったのかどうか、今の安全保障政策ではどうしても対応できない分野があるのかどうかを考えるべきでしょう。

もし、問題があるのなら、周辺事態法など個別の法律のどこが不十分かを判断することになります。その中で、「集団的自衛権の行使はできない」とした政府の憲法解釈に問題があれば、さらに議論を深めればいい。集団的自衛権だけを観念的に議論しても、とても国民の理解は得られないと思います。

例えば、尖閣諸島を侵攻された場合、これは日本への武力攻撃であり、自衛隊の個別的自衛権の行使の問題です。また、停戦後に派遣される国連平和維持活動(PKO)に伴う自衛隊の武器使用は、そもそも自衛権とは無関係です。

報道で見かける、米国に向かうミサイルの迎撃やシーレーン(海上交通路)防衛の問題も、集団的自衛権の行使でないと対応できないのかどうか、慎重に考えるべきでしょう。

このように、現実的な議論を進めると、日本を取り巻く安全保障上の諸問題は現在の法制でも対応可能かもしれません。すぐに集団的自衛権の行使容認をする必要性は感じません。

―そもそも集団的自衛権とは何か。

北側 集団的自衛権とは、自国と密接な関係がある外国に対する武力攻撃を、自国が攻撃されていないにもかかわらず、実力で阻止する権利です。いわば「他国防衛の権利」です。これに対し、自国に対する武力攻撃を自力で排除する権利が個別的自衛権で「自国防衛の権利」です。

集団的、個別的自衛権を初めて明文で認めたのは国連憲章第51条です。日本も国連加盟国ですから、国際法上、集団的、個別的自衛権を保有しています。
しかし、日本国憲法は「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」を定めた第9条があるため、自衛権行使は自国防衛のための必要最小限度の範囲でしかできないと政府は解釈してきました。そのため、憲法上、集団的自衛権は必要最小限度を超えるため行使できないとの憲法解釈を固め、すでに40年以上も変えていません。

一方で、政府の憲法解釈を変え、集団的自衛権の行使を認めようとする意見もあります。しかし、政府の憲法解釈は国会質疑の中で示され、固められてきた経緯があります。政府だけの判断で一方的に解釈変更をすることは、これまでの国会論戦を軽視することになりかねません。憲法解釈の変更には慎重であるべきで、公明党は、これまでの政府解釈を尊重する必要があると考えています。

最近、1959年の砂川事件の最高裁判決を根拠に、「必要最小限度の範囲内であれば集団的自衛権の行使も可能」との主張があります。しかし、この判決は「自衛隊や米軍駐留が憲法違反ではないか」が問われた時代の判決で、集団的自衛権の行使を根拠づける内容の判決ではありません。