2014年12月28日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2014年12月28日(日)16時30分53秒 それまで、勉強に勉強を重ね、力をためにためていたかのように、 怒涛の勢いで翻訳事業が始まりました。 中国の僧侶も、羅什の長安入りを伝え聞いて、 続々と彼のもとに結集し、一大教団をなしていったのです。 羅什が亡くなるまで、八年間とも十二年間ともいわれていますが、 その間、三百数十巻もの経典が翻訳されており、 一ヶ月に二巻ないし三巻という驚異的なペースであったと想像できます。 それは、翻訳という言葉から受けるイメージとは異なった、 生き生きとした仏教研学運動であったことを象徴しています。 羅什が訳したさまざまな経典の序によると、 その翻訳の場には、あるときは八百人、あるときは二千人というように、 数多くの俊英が集まっています。 その聴衆を前に、羅什は経典を手に取り、講義形式で進めていったのです。 そして、なぜそう訳すのか、その経文の元意はどこにあるのかを話し、 ある時には質疑応答のような形式をとりつつ、納得のいくまで解読していきました。 書斎に閉じこもり、辞書と格闘し、自分一人で何十年もかかって難解な訳をするのではなく、 大衆の呼吸をじかに感じながら、対話の場で仏法を展開していったのです。 だからこそ、羅什は、あれほどの名訳が生まれたのではないかと思うのです。 一般的に羅什の訳は、非常になめらかで、 経典の元意をふまえた意訳に優れたものだと言われています。 仏法は、それがいかに優れたものであっても、難解であれば、 人々から離れたものになってしまいます。 人々と語り、生活の中で実感するなかに、思想の光りは輝いていくものだと思います。 もし、この羅什教団ともいうべき人々の仏典流布の活動がなければ、 後の天台、伝教の昇華へと、仏法の歴史が展開することはなかったでしょう。 それを考えると羅什の功績と使命は偉大であったと思います。 大衆の中に入り、大衆とともに語り合うその振る舞いに、仏法研学の真実の姿があると思います。 ある意味で私たち会員も、現代における羅什の立場にあるといえます。 羅什は、インドから中国へと経典を翻訳しました。 私たち会員は、七百年の不滅の末法の経典を、 現代という時代に、生き生きと蘇らせる使命を担っています。 それを率先垂範で実践し、弟子たちに身をもって教えているのが創価三代の師匠です。 Tweet