投稿者:セブンスター   投稿日:2015年 6月 2日(火)08時20分31秒     通報
おはようございます。いつも拝見させていただいております。

「人法一箇」を言葉にして明確に否定してはいませんが、学会教学はいまや「人法一箇」を認めていないと私は考えます。

理由その①

聖教誌上に「一大秘法・六大秘法いう用語は今後用いない」と明確に記載されています。
つまり本尊を人と法には分けないということです。何故でしょうか?

南無妙法蓮華経は南無妙法蓮華経如来という仏であり日蓮大聖人の名前でもあります。
南無妙法蓮華経=南無妙法蓮華経如来=日蓮=我々の生命という方程式が成り立つからこそ
日蓮大聖人は自身の生命を御本尊として具現化された。
だからこその一大秘法なのですが、学会教学では今回明確に「使用しない」と明言したのです。

理由②

新会則には「根本の法である南無妙法蓮華経」とあり
原田会長は聖教誌上で、日蓮大聖人は、宇宙と生命に内在する根本の法を「南無妙法蓮華経」
であると明らかにされました。と言っておりますが素直にこの文章を読むと、
南無妙法蓮華経という「法」を発見した日蓮という「人」という図式が見えるのです。

万有引力という「法」を発見したニュートンという「人」と同列ではないでしょうか。
そこには「御本仏」と言ってみても「御本仏」としての扱いはありません。
「宗教」ではなく単なる「哲学」と言ってもいいと私は考えます。
大聖人は南無妙法蓮華経という法を発見したただの人なのです。
全く身延と同じ扱いです。
ましてや、独立した教団だから本尊を認定する権能を有するなどは新興宗教ここに極まれりと
いったところではないでしょうか?