投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 5月31日(日)20時34分46秒     通報
池田大作全集78巻より
青年部・教学部代表協議会 (1991年9月20日)②

■正法の行者を憎む者には仏罰

初めに「日女御前御返事」の一節を拝したい。

「法華経をば経のごとく持つ人人も・法華経の行者を或は貪瞋癡により或は世間の事により或は・ しなじな品品 の ふるまひ振舞 によつて憎む人あり、此は法華経を信ずれども信ずる功徳なしかへりて罰をかほるなり」

――法華経(御本尊)を経文のとおりに持つ人々であっても、法華経の行者を、あるいは貪欲・瞋恚・愚癡の煩悩によって、あるいは世間のことによって、あるいはさまざまな振る舞いが良くないといって、憎む人がいる。このような人は、法華経(御本尊)を信じていても、信ずる功徳はなく、かえって罰を受けるのである――。

これは、末法の法華経の行者、すなわち御本仏日蓮大聖人に背く大罪を明かされた御文である。

貪欲・瞋恚・愚癡によって憎むというのは、貪りと瞋り、癡かさ、すなわち、その人の心に巣くっているさまざまな煩悩が原因で、法華経の行者を憎むことである。

世間のことによって憎むというのは、仏法の教義によらずに、世間的な事によせて、憎む場合である。

仏法の世界は「経文」が基準である。私どもでいえば「御書」が根本である。それなのに、風評などの世間的な面を基準にして正法の行者を憎むという本末転倒の姿をいう。

さまざまな振る舞いによって憎むというのは、その人の振る舞いや言動などの表面に現れた姿を見て憎悪をいだく場合である。
自己の小さな感情にとらわれ、表面のみを見て人を憎むことは、いつの時代にも変わらない、人間の傾向性であろう。

大聖人は、いかなる理由があろうとも、真実の法華経の行者を憎んだ場合には、法華経を経のごとく持っている人であっても、功徳はなく、かえって罰を受ける、と厳しく戒められている。いわんや、法華経を正しく修行もしないで、行者を憎む場合は、罪は当然である。

総じて、現在にあてはめれば、大聖人の仰せのままに、信行に励み、広布に邁進する正しい信仰者に対して、感情からであれ、世間の事によってであれ、その言動からであれ、憎しみをいだいて行動した場合には、どのような立場であろうとも、功徳がないばかりか、大罰を受けることになる。

「法」を大切にするといいながら、その「法」を持ち、弘める「人」を憎み、いじめ、なきものにしようとする。そのような門下がいれば、大聖人から厳しいお叱りを受けることは疑いないであろう。

■三毒の代表――舎利弗の瞋恚

日亨上人は、この貪欲・瞋恚・愚癡の三毒について、次のように述べられている。(『追考 聖訓一百題』。以下、引用は同書から)

「三毒とは貪慾と瞋恚と愚癡の三つの精神作用で此が 惣すべ ての迷い煩悩の真先に差出る猛烈な迷いであって人類の智徳を壊る事が頗る多いのでの名が与えられてある。
僧衆の中で此三毒を沢山に所有する代表者は難陀と舎利弗と提婆達多で次での如く貪瞋癡を持って居るが、但し此は猛烈な特徴のある代表者と云うべき御弟子方であって、其外の人々にも三毒ある事は無論の事であり又三毒互具も当然の事である。貪慾の人に瞋恚や愚癡が附属し、瞋恚性の人に貪慾と愚癡とが附き纏うている事も有り勝である」と。

三毒とは、あらゆる煩悩、迷いの根本であり、衆生を害するので「毒」と名付けられているのである。

日亨上人は、釈尊の弟子のなかで、三毒がとくに強い代表者として、難陀(阿難、阿難陀ともいう)と舎利弗と提婆達多を挙げておられる。

提婆達多が三毒に支配された代表というのは当然と思えるが、智慧第一の舎利弗や、多聞第一といわれた難陀が挙げられているのは、意外な感じがするかもしれない。外見だけではわからないものだ。

日亨上人はその根拠として、舎利弗の強い「瞋恚の心」が説かれた、次のような経論のエピソードを紹介されている。

――ある時、釈尊が、羅喉羅(釈尊の子で、十大弟子の一人)に向かって、この大衆のなかでだれが上座(第一人者)であるか、と尋ねたところ、直ちに「舎利弗である」と答えた。

ところが釈尊は、「舎利弗は、かつて不浄食(言葉巧みに人々から求めた、けがれた食物)を食べたことがある」と言った。

それを伝え聞いた舎利弗は、日の中の食べ物を吐き出して、「きょうからは人から食事の招待を受けることはお断りだ」と宣言した。師・釈尊の言葉に怒ったのである。

信者である 波斯匿王はしのくおう や須達多長者などが、舎利弗に向かって、「なぜ私どもの食事の招待を受けてくれないのですか。尊敬する尊者に供養を断られては、私どもは功徳を積むことができません」と訴えた。

舎利弗は、「勝手に受けないのではなく、師の釈尊が、舎利弗は不浄食を受けたから良くない、と言われたと聞いたので、あなた方の特別招待は不浄になるから受けません」と供養を拒んだ。

王たちは、釈尊に、供養を快く受けるように舎利弗を説得してほしいと願ったが、釈尊は、「彼は強情だから、私の言うことも聞くまい。彼の本性は毒蛇なのだ」と言い、舎利弗の過去世の姿を語り始めた。

ある時、一人の国王が毒蛇に噛まれ、痛みで死ぬばかりになった。多数の医者が協議して、王を噛んだ毒蛇に毒を吸い取らせる以外に方法がないと決め、毒蛇を連れてきた。

医師たちは、毒蛇に対して、「国王に回った毒を吸い取って元のようにしろ。いやだと言うのなら、人の中に入って焼け死ね」と厳しく責めた。

すると毒蛇は「いったん吐き出した毒を元のように吸い取れるはずがない。命なんかどうでもよい」と、即座に火の中に飛び込んで焼け死んでしまった。

この毒蛇が、舎利弗の過去世の姿である。そうした因縁のある彼であるから、諭しても聞くわけがない――。釈尊は王たちに、こう説いて聞かせたのである。

以上が、日亨上人の述べられた舎利弗の逸話である。

師に過ちを指摘されてカッとなった舎利弗。責められて怒り狂い、みずから火中に飛び込んだ毒蛇。

「瞋恚」に支配された心の醜さ、頑迷さをわかりやすく示されている。「毒蛇」の本性をもつ者は、仏である釈尊の言うことさえきかない。諭しても無駄である、と。

ゆえに、そうした人間が「悪」に走った場合は、これは断固、責める以外にない。道理で話しても聞く耳をもたない。厳しく打ち破るしかない。

舎利弗の「瞋り」について、日亨上人は、もう一つエピソードを紹介されている。

――釈尊が祗園精舎に居た時、舎利弗を連れて経行(一定の場所を歩いて往復すること、散歩)していた所へ、鷹に追われた鳩が逃げてきたことがあった。釈尊の影に飛んでくると、鳩は安心して鳴きやんだが、舎利弗の影が鳩の上を覆うと、鳩はふるえ恐れて鳴きだした。

舎利弗は、「仏も私もともに三毒がないのに、仏の影では鳩は安心し、私の影では鳩が恐れるのはなぜでしょうか」と尋ねた。

釈尊は、「お前には、三毒はなくとも、その習気(身についた惑いの余残)が残っているからだ」と語ったという――。これらは、『大智度論』に説かれた故事である。

「智慧第一」といわれた舎利弗でさえ、瞋恚の心を抑えることができなかったと。しかも、あろうことか師・釈尊の教えに対しても、反発し、怒ったとされるのである。

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池田大作全集78巻より
青年部・教学部代表協議会 (1991年9月20日)

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