投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月 6日(土)18時36分33秒 返信・引用 編集済

サンタンデル将軍は青年に一切の希望を託していた。
独立の戦い自体、青年の勝利であった。
最初に立ち上がったのは学生であった。
また独立戦争に勝利した時、最高司令官ボリバルは三十五歳、サンタンデル将軍は二十七歳という若さであった。
将軍は十八歳から戦いに参加した。

青年が立てば、歴史は変わる。
ゆえに青年は宝である。希望である。私も、青年の育成に全力をあげている。

将軍は言った。
「国民よ、私は若き日々を、ただの一度さえ不実を行わず、諸君の独立に捧げた。諸君の自由のために、わが一切の力と才能をそそいだ。国民よ、あなたたちの幸福こそ、わが心の崇拝の的なのだ」
「わが命、わが財産は共和国のものであり、あなた方のものである」。

民衆の幸福こそ、「わが心の崇拝の的」すなわち究極の願いである、と。これこそリーダーの精神でなければならない。

いわんや、仏法の世界は慈悲が根本である。
仏法の指導者は、だれよりも人々の幸福のために祈り、動き、尽くす慈愛の人でなければならない。
いわんや仏子を苦しめるような行為は、仏法的にも、人間としても、決して許されないと私どもは思う。

彼は国民の幸福を圧迫するものとは容赦なく戦った。その最大のものが教会であった。
当時の教会の権力は大きく、財産も莫大であり、教会領は国土の三分の一に及んだ。
聖職者の一部には、町で妻子と生活しているものもいた。
「罪のゆるし」を与える代わりに、遺産をよこせと迫るものもいたと記録されている。

教会は、サンタンデル大統領に始まる改革を「危険だ」と非難した。
要するに、自分たちの財産や権力、尊敬にとって「危険」だったのである。

進歩には反動が、改革には障害がつきものである。
偉大な前進には、それだけ波浪も大きい。さまざまな評価があるが、当時は一面、「進歩の時代」であった。
世界的な「自由の拡大の時代」であった。この変化の潮流には、大きな逆流も必然であった。

現在の教会では完全に否定されているが、将軍の死の直後、ローマ法王ピウス九世は、悪名高き「教皇無謬説(きょうこうむびゅうせつ)」<法王には誤りはない、すべて正しいとの説>を唱えた。世界の《自由への大河》《理性の目覚め》を恐れた一時的反動である。

ピウス九世があげた「破門に値する八十項目」のなかには、
「理性に照らして真実と信ずる宗教を受け入れる自由を主張する者」
「教会と国家の分離を説く者」
「法王は、進歩、リベラリズム<自由主義>、近代文明と折り合いをつけることができると主張する者」――などが含まれていた。

時代の進歩や人間の理性と、まっこうから対立してまで《特権》を守ろうとしたのである。
この説は後に、教会からも邪義として否定された。

将軍は自由を阻む旧勢力と一生涯、闘い続けた。
同志にすら裏切られながら――。
まさに「光」を求め「光」を流布しつづけた一生であった。

最後に、将軍の言葉を二つ紹介しておきたい。
それは――「侮辱を与えられたとき、おとなしく落ち着いている者。それは『虚弱以下』であろう」(コロンビアの軍に)。
すなわち、バカにされて、立ち上がらない者は、弱者どころか、それ以下である、と。

もう一つは「敵(=スペイン軍)は、自らの無力に絶望している。そこで、あなた方(=コロンビア人)の不和を期待しているのだ。(=ゆえに団結して)『法の道』をしっかりした足どりで前進せよ!そうすれば彼ら(=敵)は自分たちの過ちに気づくであろう」(コロンビア人に)と。

【関西会・長野の代表研修会 平成三年七月二十五日(全集七十七巻)】