投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 5月25日(月)13時21分12秒     通報 編集済
池田大作全集71巻より
墨田、荒川区記念支部長会 (1988年10月12日)④
兼山は、迫りくる危険を百も承知の上で、「後世千年、二千年」のために、暴風雨の中を突き進んでいった。
その不動の信念は、ある意味で、一つの″信仰″のごとき結晶の姿をさえ感じさせる。

千年、二千年の未来にも 不朽の人生。これこそ「真の長寿」ではないだろうか。千年、二千年分の価値に通じる充実の一日また一日。これこそ人間らしい「黄金の価値の日々」ではないだろうか。
人生の持ち時間は、長い目で見れば、各人、大差ないものだ。要は、どれだけ「深く生きた時間」をつくったかである。その集積が人生の宝となる。その宝は、金銭等の財産とはちがって、我が生命に厳として備わったものである。
この、生命に備わった財宝は、だれびとも奪うことはできない。誰人も傷つけることもできない。その最大の価値を日々、つくっているのが私どもの信仰である。
妙法は「三世一念」と説く。広布に戦い進む信心の「一念」に、瞬間瞬間、「三世永遠」が包まれている。
またその労苦は、時がたてばたつほど不滅の輝きを放つ「万年」への大偉業である。
現代において、ここにのみ真の″不朽の人生″がある。
また永遠へと通じる真の″長寿の人生″がある。
これほどありがたい、意義深き世界はない。その自覚と感謝の心が、さらに自分自身の人生を大きく開いていくにちがいない。
■悪人の本質は臆病と慢心
やがて、藩主の交代により次第に気流が変わっていく。兼山の反対派は、このチャンスを見逃さなかった。
旧藩主は、兼山の政治に全面的な理解を寄せていた。反対派にとっては、兼山が余りにも藩主に信頼され、諸大名や 幕閣(ばっかく)にまで名声が広まっていることが、 妬ましくてならなかった。

兼山に対する反感も、所詮、その本質は、男の「嫉妬」であった。──提婆達多の釈尊への反逆も、男の嫉妬の恐ろしさを物語る一例である。
権力欲に身を焦がし、正義の人を妬み、そねむ者が、やがて現実に人倫の道を踏み外し、悪逆の徒となっていくのは、昔も今も変わらぬ方程式といえよう。
また、反対派にとっては、登用された人材が兼山に心服し、大きな勢力になっていることも脅威であった。
そして何より、兼山の、遠大な理想に基づく 施政しせい によって、自分たちの思い通りの政治ができないことに、いら立っていた。
何にでも 上手(うわて)をいく兼山を、いつか追い落としたいと、ひそかに時期の到来をうかがっていたのである。
藩主の交代。それこそ彼らの待ちに待っていた好機であった。彼らは少しずつ新藩主に兼山の悪口を吹き込んだ。さらに気脈を通じていた幕府の一部をも巻き込み、周到なワナが、ゆっくりと張りめぐらされていく。
筆頭国老ら藩の悪人たちは密談を進めた。そのなかで、彼らは心中を生々しく 吐露する。
「筆頭国老の体面も、彼(兼山)の踏みにじるに任せ、
わしは、 意気地いくじ なしの、 唖(おし)同様となって
二十幾年すごしてきた。が今度はじゃ、今度はあの高慢ちき 奴め 、いよいよ腹切りじゃ」
そして、「わしは、ただただ今日の日を待った」──と。
もし、この言葉通り、二十年余も藩政をリードできず、無為に過ごしてきたのならば、何と情けない重臣であろうか。
兼山のせいで″我慢してきた″という。
しかし、国のために精いっぱい、力を尽くし、行動してこそ、筆頭国老、高官としての責務を全うできるのではないか。
結局、彼らには、「藩のため」「領民のため」という透徹した一念がなかった。その無私の一念さえあれば、何も怖いものはない。
それがないゆえに彼らは、ひたすら時流におもねった。
兼山に信任厚い藩主の時は、保身のため、それにへつらい、流れが変わると、本性をムキ出しにしてきたのである。
旧藩主に 追従(ついしょう)したのも、ずる賢い「憶病」。新藩主にとりいり、幕府の権力を利用したのも、ウソつきの天才の「憶病」。
そういう自らの 醜みにく さを見つめることができない弱さも身勝手な「憶病」。
表面は変われども、その本質は一貫していた。終始、彼らは「状況の 奴隷」であり、自身を律しきれぬ「エゴの奴隷」であった。ただ、悪人には悪人なりの″知恵″があった。
国老はいう──
「人間、突き落とそうとするには、まず一番てっぺんまで、押し上げることじゃ。上げてしまわなくては、なかなか落とすことに骨が折れるでの」
悪意の言であれ、一面の真理を突いた言葉であろう。
だれでも、″絶頂″の時が最も危ない。登り切れば、あとは下るしかないからだ。
″登り切った時″とは、いかなる時か。
それは決して周囲が決めるものでもない。自分が決めることである。すなわち「慢心」が絶頂の時こそ、危険の″絶頂″にある時であり、それは「心」の問題なのである。
ナポレオンも、秀吉も、際限を知らぬ「慢心」で自らを破り、後代への 礎いしずえ を失うことになった。
私どもも、「慢心」こそ最大の戒めとしていくべきである。
幹部は、立場が上になればなるほど、謙虚でなければならない。より多くの人に尽くし、奉仕する立場になっていることを強く自覚すべきである。
妙楽大師は「教弥よ実なれば 位弥よ下れり」
(教えがすぐれているほど、より低い機根の人も救える)
と教えている。
むろん、これは「法」についての言葉だが、「人」においても、修行を重ね、信心を深めていくほど、民衆に近づいていくことが大切なのである。
これに反し、これまでの退転者は、地位や役職が上がるにつれ、「慢心」を高め、 傲おご りを増していった。
そして、それなりに″登り詰めた″時点で慢心も″絶頂″を迎え、急速に、人間の正道を外れていった。

では、「慢心」に陥らないためには、何が大切か――。
同じく『人間と文学を語る』(潮出版社)の対談でも名前の出たが、大衆作家・ 中里介山(なかざとかいざん)は書いている。
言うまでもなく長編小説『大菩薩峠』の著者である。
「人間の不徳のうちで一番いけないのは増上慢である」

「人間が苦労しなければならないこと、苦労した人間に光のあるというのは、つまりこの慢心の 灰汁(あく)がぬけているからである。
苦労なんというものは人生にない方がよいのかも知れないが、それをしないと人間が増長して浅薄になる。苦労も人生の一つの必要である」(「信仰と人生」『中里介山全集第二十巻』筑摩書房)。
よくよく味わうべき真実の言であると思う。

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池田大作全集71巻より
墨田、荒川区記念支部長会 (1988年10月12日)①
■http://6027.teacup.com/situation/bbs/24759

墨田、荒川区記念支部長会 (1988年10月12日)②
■http://6027.teacup.com/situation/bbs/25041

墨田、荒川区記念支部長会 (1988年10月12日)③
■http://6027.teacup.com/situation/bbs/25062

(参考)
■http://6027.teacup.com/situation/bbs/24971

■http://6027.teacup.com/situation/bbs/24676

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