投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 5月23日(土)18時04分29秒     通報
感動できること自体が功徳ですね。生きている事自体が嬉しくて仕方がないという絶対的幸福境涯は、生命の根底からの歓びであり、感動です。南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜であり、人が求めているものは、まさに感動であると思います。功徳とは価値であり、価値の最高峰が感動・歓喜でしょう。「感動のない人生など、生きている意味などない」と、誰かが言っていましたが、どれだけの感動体験ができるかが、人生にとって極めて重要なものではないでしょうか。

五十展転の功徳は、はじめの一人がいなければ起きない現象です。故に、0から1歩踏み出した人(源)が大事であり、すべての功徳は当然、はじめの人に帰結します。信濃町の人びと様の勇気ある一歩が、20年という時を経て開花し、功徳となって顕れたのでしょう。これが仏法であり、一人の一つの行動が、未来を大きく変え、展転されていく。その功徳は永遠に生命に刻まれ、消えることはないでしょう。心から決意し、行動を起こした分、それが今生人界の思い出となり、功徳が生命に刻まれていきますね。