投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 5月 2日(土)17時39分21秒     通報
池田大作全集90巻より
「5.3」記念第33回本部幹部会 (1999年5月1日)②

日蓮大聖人は仰せである。

「法華経の座は三千大千世界の外四百万億阿僧祗の世界なり其の中に充満せる菩薩・二乗・人天・八部等皆如来の告勅を蒙むり各各所在の国土に法華経を弘む可きの由之を願いぬ」

――法華経の会座は、三千大千世界のほか、四百万億阿僧祇という広大な世界である。その中に充満する菩薩、二乗、人、天、八部(仏法守護の衆)などが、皆、如来の御命令を受けて、それぞれの住む国土に法華経を弘めることを願ったのである――。

仏法は大きい。仏法は宇宙大である。
日蓮大聖人の「大宇宙を貫く大哲学」を知れば、きっとベルクソンも、カントも、ヘーゲルも、マルクスも皆、感嘆して、仰ぎ見たであろう。
いわんや、どんな社会の名声も、権力も、仏法の世界から見たら、豆粒のように小さい。

私たちも、広大な宇宙の中から、地球を選んで、「ここで、仏法を弘めます!」と願って生まれてきたのである。その″使命″を達成しなければならない。
私たちは、どこまでも、「人類のため」「平和のため」「幸福のため」「繁栄のため」、堂々と実践してまいりましょう!(拍手)
「千万人と雖も、吾往かん」

青春時代、戸田先生から漢文を教わった。先生は、数学の大家だったが、漢文もお好きだった。たとえば――。

「世を挙げて皆濁る。我独り清む」

――世間の人々は皆、(利欲に)濁り、私一人だけが清らかに生きている。

「この自覚を忘れるな」という、戸田先生のお言葉を、今も忘れることができない。

「清らかに生きる」、それは「信心」しかない。「妙法」しかない。
この漢文は、屈原という、中国戦国時代の詩人政治家の言葉である。

また、「心和し、気平らかなる者は、百福自ら集まる」。

――気持ちが和やかで平静であるならば、その人には、おのずから、あらゆる幸福が集まってくる。
これは『菜根譚』。明の時代の 洪自誠こうじせい という人の著作の一文である。

仏法から見れば、「気平らか」とは、人界である。「心和し」とは、「すがすがしい心で南無妙法蓮華経と唱えること」と言えまいか。その時、百の福徳が全部、自然に集まってくる。

「安んぞ求めん一時の誉れ、当に期すべし千載の知」
――一時的な栄誉など、どうして求めることがあろうか。後世、千年の未来に君の心を知ってくれる人がいればよいのだ。
北宋の詩人、 梅尭臣ばいぎょうしん という人の詩である。

次の漢文は、戸田先生から「覚えておきなさい」と強く言われたものである。
「大作、これでいけよ!」と。その通りにしてきたつもりである。

「自ら反みて 縮なお くんば、千万人と雖も、吾往かん」

――かえりみて、自分が確かに正しいという信念がある限り、たとえ相手が千万人であろうとも、自分は敢然として、一人行こう。(『孟子』から)

これらの漢文は、すべて青春時代、二十代に「戸田大学」で教わった一節である。化学、他のサイエンス(科学)、法律、国語……ありとあらゆる学問を、戸田先生から十年間、教わった。
ナポレオンが示した「一人の人間の力」

ご存じのように、このたび「特別ナポレオン展」が、東京富士美術館(八王子市)において、盛大に開幕した。(二〇〇一年まで全国を巡回)
日本初公開の「フランスの国宝」をはじめ、約五百点。大変に貴重な出品である。

「一人の人間」が、揺るぎない信念に立つ。その時に、どこまで歴史をつくれるか、動かせるのか――。
二十一世紀への転換期を生きる私たちに、何らかのメッセージを送ってくれると信じる。
今回の展示では、アメリカ・ナポレオン協会の理事であるブラスナー博士が、「名誉委員長」を務めてくださっている。つつしんで、御礼申し上げたい。(拍手)

ナポレオンの生涯から、何を学ぶことができるか。アメリカの思想家、エマソンの言葉を紹介したい。
エマソンも、戸田先生から読むように勧められた。

ナポレオンが教えてくれること、それは、「勇気があれば、道はいつでも拓けるものだという教訓にほかならない」(『エマソン詩集』6、酒本雅之訳、日本教文社)と、エマソンは言う。

今回、晴れの五月三日を迎えるにあたっても、わが同志の「勇気」が、二十一世紀の道を大きく拓いたのである。本当におめでとう!(拍手)

だれもが感嘆した勝利である。日蓮大聖人直結の団体でなければ、なしえない。「奇跡」のごとき勝利である。大聖人が皆さまを最大に称賛しておられると信ずる。(拍手)

エマソンは、ナポレオンを、こう論じている。
「彼の勝利は、そのまま、さらにあらたな勝利への門出であり、たとい現在の境遇が、どんなに目くるめくほど民衆の喝采を浴びていても、ほんの一瞬たりとも、自分の進むべき道を見失うことはなかった」

ナポレオンは、勝ったら「また、次だ!」と。勝利に満足せず、それで安心せず、油断もしなかった。
戦とは、そうでなければならない。一つの勝利を、さらに次の勝利への因としていく。それが″戦上手″であり、連戦連勝につながる。

勝利の余韻に浸ると、慢心になる。これでは、次は負けである。

勝った時にこそ、さらに次の新しい大きな展望を開く。これで、次も勝利できる。

この、たゆみなき前進の息吹――これが「勇猛精進」である。

「勇猛」の「勇」は、「勇気」。
「猛」は「智慧の限りを尽くすこと」。
「精進」の「精」は、「無雑」。
純粋で、一点の混じりけもないことである。「進」は、「間断なく進むこと」である。
勇猛精進が、″常勝の人間″をつくる。わが身を″常勝の生命″へと鍛え上げていく。

今回の展示では、ナポレオンが最後の六年間を過ごした、セント・ヘレナ島にゆかりのある貴重な品々も出品されている。″最後の玉座″など、フランス国宝の五点を含む、非常にめずらしいものである。

「フランス国外では初公開」というものも多い。「直筆の回想録」は、世界初公開ともいわれる。「宝剣」(「ミュラ元帥の宝剣」四点)も、フランス国宝である。

「必ずナポレオンに光の当たる時代が来る」。私は、そう信じて、何年も前から、この展示のために手を打ってきた。
真剣であれば、「智慧」が出る。「力」が出る。反対に、立場や力を持ちながら、真剣にやらなければ、偉くしてくれた民衆への裏切りである。それは所詮、増上慢なのである。
セルバンテスの『ドン・キホーテ』の有名な一節に「忘恩は、慢心の落とし子である」とある通りである。

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「5.3」記念第33回本部幹部会 (1999年5月1日)①
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