投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 4月29日(水)01時48分13秒     通報
池田大作全集89巻より
第25回本部幹部会 (1998年8月27日)①

戸田先生「勇気は慈悲と表裏一体」

遠いところ、本当にご苦労さまです!(拍手)
アメリカのケネディ大統領がいちばん大事にした「人間の資質」とは何であったか。それは「勇気」であった。

「勇気」

――戸田先生も遺言のように言われていた。

「大事なのは慈悲である。しかし慈悲といっても、表は『勇気』である。勇気をもって行動してこそ慈悲となる。慈悲と勇気は表裏一体である」と。

ケネディ大統領は言う。
「われわれは真に勇気ある人間であったか。すなわち自己の敵に対抗する勇気のほかに、必要な場合には自己の仲間に対しても抵抗するだけの勇気、あるいは、私利私欲ばかりでなく、公衆の圧力にも抵抗するだけの勇気も持ち主であったか」(坂西志保『永遠の炎』時事通信社)

大統領は″外部の悪とはもちろん、内部の悪とも戦え″と言ったのである。その心情は、よくわかる。

私は世界の多くのリーダーとお会いしてきた。ケネディ大統領とも、お会いする予定があったが、横やりが入って中止になった。その後、凶弾に倒れられ、私たちの会見は、ついに実現しなかった。残念である。

大統領は、こうも言った。

「今、われわれに必要なのは何か。それは満足感ではない。勇気だ」(同前)と。

″現状のままで、もういいんだ″と満足しては、進歩はない。勝利もない。″これからだ。いよいよ開拓を始めるのだ!″という勇気が必要なのである。素晴らしい言葉である。

多くの日本人には精神的勇気がないと言われる。勇気があるように見えても、やみくもな肉体的勇気であり、蛮勇である、と。だから傲慢になる。
本当に「勇気がある」とは「信念を貫く」ということである。信念の究極は「信心」である。

信心とは、不幸な人々の味方となり、矢面となって、悪と戦い抜くことである。「信心」と「慈悲」と「勇気」は一体なのである。
創価学会は勇気で勝った。勇気があったから、ここまで広宣流布の道を開けた。

打って出よ! 勝利はそこから

御書にも「臆病者であってはならない。いくじなしは、日蓮の弟子ではない」と厳しく仰せになっている。(「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」、「あへて臆病にては叶うべからず」など)

創価学会は、最大の「勇気」をもった、最高の「正義の人」の団体である。(拍手)

この夏も、全国の同志は見事な前進をされた。皆さま、おめでとう。心からご苦労さまです、と申し上げたい。

ガンジーは言った。

「ひとにぎりの人でも誓いに忠実であるかぎり、この闘争には、ただひとつの結末しかありえません――それは、勝利であります」(カルヴィン・カイトル『ガンジー』岳真也訳、潮出版社)

私どもの誓いは「広宣流布」である。本当に広宣流布しようと誓った人間が、少しでもいるならば、最後は必ず勝利する。広布の勝利は疑いないのである。

勝つしかない。どんな理由をつけようと、負けは負けである。人類の不幸の根を断ち切る戦いに、敗北は許されない。

また「勝利とは、座って待っていればよいと言うわけではない。勝利は、戦い取るべきものである」(『周恩来選集』中京中央ML著作編集局、外文出版社)と。

打って出ることだ。じっとしていて、勝てるわけがない。

アインシュタインは言う。

「困難と障害とは、いかなる社会にとっても、力と健康の価値ある源泉である」(『アインシュタイン選集』3,井上健・中村誠太郎訳、共立出版)

困難も障害もない

――そんな人生は、ありえない。そんな世の中もありえない。

偉くなれば、苦労がなくなる

――それも、とんでもない錯覚である。

どんな人生も組織も、障害がある。困難がある。それと戦うからこそ、力を増し、健康になれる。順調なだけでは、鍛えがなく、衰弱していく。
「困難を乗り越えてこそ強くなる」

――一流の知性の洞察と、仏法の英知は、まったく一致する。