投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 4月17日(金)20時01分27秒     通報 編集済
池田大作全集(71巻)より
第六回全国青年部幹部会 (1988年7月10日)

※このご指導の通り、大聖人の仏法を現実のものとしたのは、池田大作先生である。ゆえに、創価三代の師弟こそが大聖人仏法の正当性を、仏教の歴史の上からをも、現実に証明したと言える。
創価三代の師匠が、永遠の指導者である理由とは、現場の庶民の立場からみれば、御本仏日蓮大聖人の教えを証明された仏様だという実感である。
■苦闘のなかにこそ大発展の因

昭和二十六年五月三日、晴れやかな戸田先生の会長就任式──。この日を出発として、広宣の炎は 燎原りょうげん の火のごとく燃え広がった。

しかし、その夜明け前には、戸田先生と私の、二人だけの壮絶な苦闘があった。それは言語に絶する苦闘であった。当時、私は戸田先生の後を継ぎ世界の広宣流布への指揮を 執と る、重大な責務を自覚していた。また戸田先生も、そのために全魂を注ぎ私を薫陶してくださった。

嵐の中の青春にあって、私は毎週日曜日、さらには毎朝のごとく戸田先生から直接、御書講義をしていただき、御書の一節一節を生命に刻みつけていった。

その中に、「撰時抄」の次の一節がある。
「此の二つの文の中に亦於現世・得其福報の八字・当於今世・得現果報の八字・已上十六字の文 むな虚 しくして日蓮今生に大果報なくば如来の金言は提婆が虚言に同じく多宝の証明は倶伽利が妄語に異ならじ」

つまり──

法華経 普賢菩薩勧発品ふげんぼさつかんぼっぽん 第二十八の二つの経文の中に

「亦於現世・得其福報(また現世においてその福報を得ん)」の八文字と、

「当於今世・得現果報(まさに今世において現の果報を得べし)」の八文字がある。

この十六字の経文がむなしくなり、日蓮が今生に大果報を得ることができなければ、

如来(釈尊)の金言は提婆達多の 虚言きょげん (=うそ)と同じになってしまう。

多宝如来が法華経の真実を証明したことも、提婆の弟子・ 倶伽利くぎゃり の 妄語もうご と変わらなくなってしまう──と。

そして「謗法の一切衆生も阿鼻地獄に堕つべからず、三世の諸仏もましまさざるか、されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ」──

それでは、謗法の一切衆生も阿鼻地獄にはおちないし、三世の諸仏もいないことになってしまう。そんなことは絶対にありえない。
それゆえ我が弟子等は、 試こころ みに法華経に説かれている通り、身命も惜しまず修行して、このたび仏法が真実であるかないかを試みてみなさい──と。

大聖人の仏法は、 漠然ばくぜん と死後の救済を説く″夢物語″のような教えではない。
この一生のうちに、必ず「成仏」という最高の果報を自分で実感することができる。

また厳たる勝利の 証あかし を人生と社会に示しきっていくことができる。その約束をしてくださっている絶対の「大法」なのである。

ゆえに大聖人は″身命を惜しまず、この仏法に生ききりなさい。そして自分自身で証明してごらんなさい″と仰せである。

私もこの御聖訓のままに、妙法流布のために戦い抜いてきたつもりである。その結果、四十年後の現在、いかに感謝してもしきれない「福徳」と「果報」の人生となった。

この「撰時抄」に仰せの「日蓮今生に大果報」云々の御文について、日寛上人は、同抄の文段に次のように記されている。

「既にこれ 閻浮えんぶ 第一の法華経の行者なり。既にこれ閻浮第一の智人なり。既にこれ閻浮第一の聖人なり。
既に末法下種の教主と 顕あらわ れ給えり。 豈あに 大果報に非ずや」
すなわち、日蓮大聖人は、すでに一閻浮提(=世界)第一の「法華経の行者」であられる。

また、すでに一閻浮提第一の「智人」であり「聖人」であられる。

さらに、「末法下種の教主」と 顕あらわ れておられる。

この、一閻浮提第一の大聖人の御境界それ自体が、大聖人におかれての「今生の大果報」なのであると日寛上人は述べられている。

釈尊にあっても、また天台にあっても、難は絶えなかった。

いわんや、大聖人は、それとは比較にならない大難の連続の御生涯であられた。

しかし、そのただなかに御本仏としての大果報を示された──。

私どもの信心のうえでの本当の果報も社会的地位や、名誉、また財産などの外面の姿のみでは分からない。その人自身の生命の内実がどうか、つまり、境涯そのものにある。

■壮大なる境涯、大果報の人生を

戸田先生は、戦後の学会再建のさなか、ご自身の事業の 挫折ざせつ から、最大の苦境に 陥おちい られたことがある。

多くの人が先生のもとを去っていった。非難の嵐のなかで、私は「先生、私がおります。ご安心ください」と申し上げた。そして先生のもとで全魂を込めて戦った。

その渦中で先生は私に何度となくいわれた。

「大作、仏法は勝負だ。男らしく命のあるかぎり、戦いきってみようよ。生命は永遠だ。その証拠が、必ずなにかの形で今世に現れるだろう」と。

この先生の言葉はまさしく、「撰時抄」の「身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ」との御精神に通じる、胸奥からの叫びであった。

また、先生の弟子である私の心にも、いささかの″ 愚痴ぐち ″も″不満″もなかった。

戸田先生の会長就任以降の、学会の発展は奇跡ともいうべきものであった。

戸田先生の願業であり、当時だれびとも想像しえなかった七十五万世帯の達成も、その 淵源えんげん は、最も学会が大変なこの時にあったのである。

また、私の代での世界的発展の″因″も実は、この時にすでにつくられたと、私は確信している。

同じ方程式のうえから、諸君も将来の大成のための″種子″を、現在の鍛錬、労苦の中で自身にしっかりと植えておいていただきたい。

創価学会の歴史も、難の連続であった。
しかし、その中を、大聖人の御遺命のままに、広布に進んできたがゆえに、今日の大発展がある。

今や、学会は、世界第一の大聖人の仏法を奉じる、世界的な「平和」と「文化」の民衆運動の王者となった。

この事実の姿それ自体こそ、だれがなんと言おうと、現代における大聖人の仏法の「大果報」の証明にほかならないと確信する。

また、そこには、正法とともに、学会とともに、広宣流布にまい進されてきた尊き妙法の同志であるお一人お一人にとっての大果報の 証あかし も、それぞれの人生に備わっていることはご存じの通りである。

諸君は、これからの広宣流布の歴史の証明役を担っていく一人一人である。どうか、将来の学会の大いなる発展とともに、自身の人生における「大果報」の証明を果たしゆかれんことを念願してやまない。