2015年5月23日 投稿者:谷川ひろし 投稿日:2015年 5月23日(土)10時45分45秒 通報 編集済 平成10年12月13日「報恩社社員I氏と東海道広宣局長A氏」との対話より判明。 【平成十年十二月二十日 天鼓一号】が発信される一週間前、神奈川広宣部ナンバー2のO氏の結婚式があった。 結婚式終了後、二次会を近くのロイヤルホストで開催。 二次会の場に居たのは、I氏・A氏ほか広宣局の中心メンバー数名。 そこで「報恩社社員I氏」が唐突に浅見副会長の悪口を言い出し、伊藤園・ビックカメラ等との癒着や 会員から「本部で使っていただきたい」と出された一千万円を「金沢・岡松」と山分けしたことなどを ベラベラしゃべり出した。 その一週間後に「天鼓文書」が発信され、それと全く同じ内容が掲載されていたため 「ああ、I氏がやったのだな」と思ったというA氏。 その後「天鼓文書」は、平成11年1月末まで1カ月半の間に10号まで発信されて中断。 2月にA氏がI氏に会った際「最近、出ないけどどうしたの?」と聞くと 「選挙がありますのでしばらく休みますけど、またそのうちやりますから」とキッパリ。 こんなわかりやすい事実を、本部から犯人探しの責任者に任じられた「S籐ピロシ」が本気で調べて出ないわけがない。 報恩社を庇い、事実を隠蔽した「S籐ピロシ」が、早稲田OBの浅見副会長の送別会で 「悔しい」と泣いてみせたのは有名な話 ! Tweet