投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 4月 6日(月)12時30分40秒     通報
ここ霧ケ峰(長野県)は、私にとって懐かしい青春の天地である。

私が初めてこの地を訪れたのは、昭和三十三年(一九五八年)の夏八月。この年の四月二日に恩師戸田先生が亡くなり、学会がいちばんたいへんな時期であった。世間では「学会は空中分解するだろう」「大指導者がいなくなり、派閥争いが始まるだろう」「宗教界からも総攻撃されるだろう」などと、さかんに噂されていた。

この時、学会を厳然と守ってくださった一人が、日淳上人である。日淳上人は、ここ長野県の伊那出身であった。日淳上人は、戸田先生亡きあとの学会員に対し、″今こそ「学会の永遠性」を確立する時である″、そして″創価学会は永遠に、戸田先生が教えられた学会の「師弟の道」を進んでいきなさい。この道こそ、真の妙法の道である″と力強く励ましてくださった。

″どこまでも学会永遠の「師弟の道」を進め″――後継の若き諸君は、この根幹の指針を深く心に刻んでいっていただきたい。

学会は、ひたすらにこの道を進んできたがゆえに、数知れぬ迫害や非難を乗り越えて、これほどまでに大発展した。世界への正法流布の大偉業の達成が可能となったのである。

『池田大作全集より  第四回未来部総会 (1991年7月28日)』