投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 4月 4日(土)13時59分13秒     通報
各部合同研修会    (2005年8月6日、長野)

人生において、さまざまな悩みにぶつかることもあるだろう。どうにもならない現実に直面することもあるにちがいない。

しかし、同じ状況にあっても、ある人は、生き生きと進む。ある人は、嘆き、悲しむ。喜びというのは、心が感じるものだからだ。

この人生を、喜んで、楽しんでいければ、その人は「勝ち」である。ゆえに、大事なのは、心を変革することだ。これが仏法である。

人が見て、どうかではない。皆がうらやむような境遇でも不幸な人は少なくない。 心が強い人。心が賢明な人。心がたくましい人。心が大きい人。その人は、何があっても、へこたれない。

「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)
ここに幸福の根幹がある。それを打ち立てるのが妙法なのである。

大聖人は、「真実に、すべての人が、身心の難を打ち破る秘術は、ただ南無妙法蓮華経なのである」(御書1170ページ、通解)と断言しておられる。

幸福とは、たんなる言葉ではない。物でもない。財産や地位や名声で、幸福は決まらない。
まず題目をあげることだ。そうすれば、生命力がわいてくる。

何があっても楽しい。友人と語り、心ゆくまで題目を唱えながら、日々の一つ一つのことを、うれしく感じられる――。その姿に幸せの一実像があるといえよう。
創価の運動は、この幸福の根本の軌道を教えているのである