投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 5月12日(火)13時23分40秒     通報

大聖人の御手紙は鎌倉時代を背景として書かれていることを考慮しなければなりません。鎌倉時代当時の法華経の敵と、現代の法華経の敵には違いがあります。鎌倉時代は、念仏や真言等が広宣流布され、それらが当たり前であり、南無妙法蓮華経を唱える人は極めて少数派でありました。また、題目を唱える宗派は大聖人率いる法華宗のみであり、内部には敵がいないという認識なのは至極当然であり、そういう意味においても、題目を唱える人は敵カテゴリーには入れないのは自然な流れでしょう。

翻って現代はどうでしょうか。念仏や真言が創価学会の敵になり得るか否か。まったくもって敵にすらならないレベルであり、そういった他宗の僧侶にたぼらかされる学会員は皆無でしょう。現代の法華経の敵になり得るのは、同じ南無妙法蓮華経を唱えている人となります。だからこそ創価学会は、宗門等(同じ南無妙法蓮華経)を責めるわけです。法華経の敵は時代や状況によって変わります。それを正しく見極めず、ただ単に御書をそのまま読んでしまっては意味がない。一重深く読み、現代に照らし合わせていかなければ理であり、事とはならない。だからこそ、大聖人の精神を正しく受け継ぎ、現代に展開できる指導者が必要なわけです。そして、その指導者の指導を護っていくことが大事であり、それを「師弟不二」とも言うわけです。

そもそも人というのは、似たものにだまされます。明らかに違うものにだまされる人はいません。正しい御本尊があり題目があればよいのではなく、正しい自行化他の信心が無ければ駄目なのです。宗門が何故駄目なのか。それは、実質的に広宣流布を推進している創価学会を切ってしまったからです。その瞬間、宗門に広宣流布をする資格はなくなりました。大聖人の精神に違背した死んだ宗教であり、いくら広宣流布をやろうと思っても不可能です。そのような死んだ宗教に付き従ってはいけないのです。むしろ、広宣流布の邪魔な存在(紛らわしいから)なので、仏敵カテゴリーということです。

さらに法華経の敵としての難敵は一体何か。それが内部の仏敵であります。ここに言及しなければ、御書は観念論となり、読んだことにはなりません。読むとは、大聖人の真意を理解するということです。内部の仏敵と戦う時代こそが21世紀であります。池田先生は第10回全国青年部幹部会(2008年7月16日 師弟の宝冠VOL.5より)でこのように指導されています。

「中世の大詩人であるショタ・ルスタヴェリは叫んだ。
『敵の中で一番恐ろしい敵は、友のふりをする敵である』
弟子のふり、同志のふりをする敵に惑わされてはならない。」

この指導からわかるように、現代の最大の仏敵は内部です。惑わし、だまし、正しい信心を壊していく人間が内部に現れる。それを見抜き、皆に知らしめていくことが、「敵を知る」ということです。正義の走者様は、御書を通して、そのことを訴えたかったのではないでしょうか。ですので、私は正義の走者様の解釈に問題は感じていないという立場です。悪を責める掲示板の性質上、穿った見方(悪口、組織分断、仏敵利する等)をしようと思えばいくらでも見ることができるかもしれませんが、「必要以上に敵視しなくてもいいのに」と、率直に思います。もちろん健全な批判(根拠あり)はあってしかるべきです。