2014年8月7日 投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2014年 8月 7日(木)22時20分17秒 学会を弾圧した、恩知らずの邪宗門の連中は皆、もう立ち上がれないだろうと思っていたに違いない。 心堕ちた学会の幹部もいた。しかし、あとになって、幾人か、「あの時は、本当に申しわけなかった」と懺悔してきた者もいた。 【神奈川・静岡合同協議会 2006-1-16付 聖教新聞】 愛媛大学教授のM氏(学会員ではありません)はこう言う。 「学会は、宗門問題が発生したとき、池田先生をいわゆる“勇退”させたのです。 そもそも“勇退”などと表現すること自体、私は腹が立ちます。 “勇退”とは罪の痛みを感じさせなくする麻酔的表現なのです。 当時、私は会友でもなかったのですが、牧口先生を師と仰ぎ、そして池田先生を尊敬していましたから、激怒しました。 戸田先生は牧口先生の身盾、つまり自分を師を守る盾として闘われました。 池田先生も戸田先生の身盾となって闘われました。逆に宗門を切り捨てるだけの力量がなかった当時の学会員の、池田先生は身盾となって、つまり師のほうが反対に弟子の身盾となって、一身に宗門の攻撃を引き受けられたのです。」 Tweet