投稿者:河内平野   投稿日:2015年 3月20日(金)14時43分28秒     通報
《「3.16」の魂は「勝つこと」にある》

「3・16」。その魂は、盛大な儀式でもなく、かっこうのよい言葉でもない。

大事なことは、ただ一つ、「勝つこと」である。

人生も、広宣流布も、「勝つか、負けるか」、この二つしかない。
諸君は、断じて勝っていただきたい。どんなに言いわけしても、負ければ惨めである。

バカにされるだけである。一人残らず勝ち切って、堂々たる人生を飾っていただきたい。

きょうは、懇談的にお話ししたい。
四十年前(一九五八年)の三月。「三月十六日」の式典に先立つ、ある日、ひとつの事件が起こった。
本山への記念総登山が行われていた。ところが、本山に殺人犯が紛れ込んでいるという知らせがきたのである。

静岡の伊豆で、老夫婦を殺害するという強盗殺人事件が起きた。その犯人が来ているという。
八方、手を尽くして探したが、手がかりをつかんだ時には、もう逃げてしまっていた。
このころ、戸田先生は、お体の具合が悪く、横になっておられたが、私が事件を報告すると、こう言われた。

「まことにかわいそうな事件だ。いちばんかわいそうなのは殺された老夫婦だ。その家族もかわいそうだ。
お題目をあげてあげなさい。そして、殺した青年もかわいそうだ。一生、苦しむだろう」

やがて犯人の青年はつかまったが、殺されたほうも、殺したほうも、
その家族も友人も知り合いも、皆が苦しむ――これを「地獄」という。
絶対に、そんな地獄をつくってはいけない。

その反対に、皆を楽しくさせ、喜ばせ、幸福にしていくのが「仏法」なのである。
自分も幸福になる。七代前、否、その前までの先祖も救える。
子孫末代までも救い、栄えさせていける。それが仏法の大功徳である。

先生は言われた。
「本当にかわいそうだ。どんなことがあっても、人を殺すということは絶対にいけない!」

この厳しい一言を忘れることができない。
昨今は、いとも簡単に人を傷つけたり、殺したりする。
しかし、諸君は絶対に、正しき人生の軌道を歩むべきである。

大事な人生である。価値ある、充実の人生を生きている諸君である。
これほど尊く、幸福な青春はない。

堕落した無価値・無意義な人生は、どんなに楽しそうに見えても、
偉く見えても、空虚な人生である。悪であり、不幸である。
諸君は、聡明に「よき人生」を、そして「充実の人生」を生き抜いていただきたい。