2014年8月2日 投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2014年 8月 2日(土)15時26分35秒 だいせいどーさんへのお返事です。 > 1979年(昭和54年)の4月24日――。 > この日、私は、19年間にわたって務めた、創価学会第三代会長を退き > 全国の、いや、全世界の同志は、その発表に、愕然として声をのんだ。 > その背後には、悪辣(あくらつ)なる宗門の権力があり、その宗門と結託した反逆の退転者たちの、ありとあらゆる学会攻撃があった。 > > 畜生のごとき坊主らの暴圧による、わが友たちの苦悩を、悲鳴を、激怒の声を聞くたびに、私の心は血の涙に濡れた。 > 心痛に、夜も眠れなかった。 > 私は、けなげな創価の同志を守るため、一心不乱に、僧俗の和合の道を探り続けた。 > > 坊主らは、狂ったように「責任をとれ」と騒ぎ立てた。 > > 私は苦悩した。 > > ある日、最高幹部たちに、私は聞いた。 > 「私が辞めれば、事態は収まるんだな」 > 沈痛な空気が流れた。 > やがて、誰かが口を開いた。 > 「時の流れは逆らえません」 > > 沈黙が凍りついた。 > わが胸に、痛みが走った。 > ――たとえ皆が反対しても、自分が頭を下げて混乱が収まるのなら、それでいい。 > 実際、私の会長辞任は、避けられないことかもしれない。 > また、激しい攻防戦のなかで、皆が神経をすり減らして、必死に戦ってきたこともわかっている。 > しかし、時流とはなんだ! > 問題は、その奥底の微妙な一念ではないか。 > そこには、学会を死守しようという闘魂も、いかなる時代になっても、私とともに戦おうという気概も感じられなかった。 > 宗門は、学会の宗教法人を解散させるという魂胆をもって、戦いを挑んできた。それを推進したのは、あの悪名高き弁護士たちである。 > それを知ってか知らずか、幹部たちは、宗門と退転・反逆者の策略に、完全に虜になってしまったのである。 > 情けなく、また、私はあきれ果てた。 > > 戸田会長は、遺言された。 > 「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ! そうすれば、必ず広宣流布できる」と。 > この恩師の精神を、学会幹部は忘れてしまったのか。なんと哀れな敗北者の姿よ。 > ただ状況に押し流されてしまうのなら、一体、学会精神は、どこにあるのか! 確かに確かに。 これ真相はいつか必ず明かす。先生の発言をきいたことある。悪徳弁護士山崎ではなく側近を含む首脳部だと。 それを恐れての逆襲か? Tweet