2015年3月9日 投稿者:ヨッシー 投稿日:2015年 3月 9日(月)23時20分39秒 通報 (続きです) とはいうものの、yさんのおっしゃるように、「(池田先生が)なんのコメントをされな いことから推測すれば、黙認していると考えるのが、常識の判断でしょう」というのも 一理あります。 また、多くの人が、yさんと同じように「今回の改正のような重要事項で先生の意向に 反対してまで会長がやっているとは思えません」と思っているのも事実でしょう。 なのに、現実には、原田会長らは、先生のご意向に逆らってまで、「大御本尊との決別」 宣言を急ぐという「常識では理解できない」「非常」の事態が起きました。 それはどうしてか? その間の事情を絵解きする、学会上層部の動きに精通している人物による「現況分析」が あります。現執行部の「泥縄」的対処ぶりが伺われて面白いので、全文を紹介します。 ……………………………………………………………………………………… 平成27年2月21日現在 創価教学確立への動向 *規則改正により創価教学の確立が急務である。路線対立(分裂)回避す るためには、何が何でも池田存命中に決めなけれぱならなかった。 *秋谷・森田(康)らが非常な危機感を持っている。 *戸田会長以来、皆が日寛上人教学を学んできた、学会教学=日寛上人 教学であった。今日までは論理的に一枚岩であった。 *が、このようになった今日、日寛上人教学に変わる、超える教義を見い ださねばならない(これからの学会教学の構築)。 *秋谷・森田らが中心となり、東大・創大など、ある程度の論客を集めて 勉強会を開始した。理論武装が焦眉の急である。 *谷川らの若手は、今まで腰を据えて教学をやっていない。 *1月29・30日の記事は、教学部が書かなかった(書けなかった)の で谷川・菅野・宮田らが書いたが、あの『教学部解説』では戦えない。 *当然、方向は既に決まっている。「相伝教学=日寛教学」からの脱却 である。 *相伝を信ずる者は宗門に行ってもしょうがない。 *学会は、「大聖人の教義」を追究する。「大聖人直結の教学」。現代の仏 教研究の成果をふまえ、その上に「創価教学」を築く。まず路線・方針 を決めてしまう。教義は「後から付ければよい」(谷川) *宗創一体時代は「相伝教学」できた。これからは直に御書に教義を求める。 *信仰としては、大聖人(仏宝)、日興上人(僧宝)は否定しない。歴代も 日達上人までは、認め良しとせざるを得ない。 *仏意・仏勅の学会を切った時点で、大聖人の仏法は創価学会に移った。 *宗門に対抗するには、大聖人直結・御書根本以外に道はない。 *今さら、どこからか大聖人の御本尊を手に入れて(買い入れて)、学会 の中心本尊とする訳にはいかない。 *日寛上人教学を学んだ者だからこそ、宗門に対抗できる。 *創価学会によって、現在に民衆仏法として蘇った。 ……………………………………………………………………………………… ここから分かるのは、 ①秋谷や森田(康)ら古参幹部を中心とする「相伝教学=日寛教学」からの 脱却を目指す強力な勢力が存在すること。 ②その勢力が教学部(=池田先生)の反対を押し切って、準備不足と分かって いながら見切り発車で、原田会長に「大御本尊との決別」宣言を発表させたこと。 ③谷川ら若手を使って弁明の「教学部解説」を書かせたが、“使えない”と 思っていること。 ④なぜ、教学部(=池田先生)の反対を押し切ってまで、見切り発車で、 発表させたかというと、「路線対立(分裂)回避するためには、何が何でも 池田存命中に決めなけれぱならなかった」からであること。 たしかに、ここで言うように、「大御本尊と決別」するかどうかは、会内でも 意見の分かれるところでした。池田先生が亡くなった後で、今回のような発表 を行えば、路線対立から学会が分裂する恐れがあったのは事実でしょう。 それを「回避」するためには、「何が何でも池田存命中に決めなけれぱならなかった」。 「何が何でも」というのは、たとえ池田先生が反対したとしても、ということでしょう。 先生が反対しても先生の存命中に公式に発表してしまえば、会員はまさか「先生の意向 に反対してまで会長がやっている」とは思わないであろうし、聖教等に先生のコメント が、賛成とも反対とも、全く載らないでいれば、会員は勝手に「先生は黙認している」 と受け止めるであろう――そう高をくくって原田会長は発表に踏み切ったというのが 事の真相ではないでしょうか。 問題は、なぜ、秋谷らは先生の意向を無視できるか? 原田会長らはなぜ秋谷らに 付き従ってしまうのか? です。 端的に言えば、秋谷らは先生を「永遠の師匠」とは思っていないからです。 自分たちと同じ「戸田門下」の一人、単なる「3番目の会長」としか 見ていないので、先生のご意向といえども「絶対」とは思っていない。 だから、第一次宗門問題の時、宗門との決別に突き進む池田先生にブレーキを かけようと、秋谷が聖教の写真資料部からマジック事件の写真を出させて、矢野絢也に 渡し、矢野が旧知のジャーナリスト・内藤国夫に流して週刊誌に掲載、 それを宗門側が学会攻撃に利用して、池田先生を会長辞任に追い込んだ―― こんな裏工作を先生のお元気な時から、平気で行っていたのです。 お元気な時ですら、こうですから、いわんや、池田先生が病に倒れた2010年 6月以降においてをや、です。 原田会長は秋谷と同じ杉並支部の出身。秋谷が原田(光)の家を折伏し、 原田(光)の家が親戚の原田(稔)の家を折伏したという間柄です。 結局、秋谷は会長時代、本部は事務総長の原田(稔)、聖教は代表理事の原田(光) という自分の折伏の系統を使って押さえていたわけです。 そんな間柄の原田(稔)が秋谷に逆らえるわけはない。 原田の師匠は実際には、池田先生ではなく、秋谷だったのです。 本来、先生の側に立つべき長谷川が、当初は「原田会長が嘘をついている」と言って いたのに寝返ったのは、いつもの変わり身の早さと言えばそれまでですが、 「池田先生に判断力はあっても、自分の意思を押し通す統治能力はもはやない」 と見限ったからではないかと言われています。 谷川は、「現況分析」を見ても分かる通り、秋谷らから見れば「若造」。 「会長にさせてやる」と言っておけば、なんでも言うことを聞く「パシリ」にすぎない。 こんな人間の上下関係であるから、秋谷らはまるで「イスラム国」の覆面兵士のような 八尋配下の弁護士らを使って、教学部ら抵抗する勢力のクビを次々に切り落として見せ しめにすれば、第一庶務とかに残る最後の抵抗勢力も恐れおののいて何もできないだろ うと、ここでも高をくくっているわけです。 実際、今は、池田先生が自分で判断を下し、それを実現しようとしても、だれも先生の 手足となって動くことができないような「異常な状況」が生まれているのです。 yさんは、「ありえないこと(=先生が反対なのに改正の流れに指をくわえて何もで きない事態)があるとしたら、統治能力がないほど健康状態が良くないとしか考えら れません」と述べています。長谷川の寝返りのこともありますので、 その可能性も否定できないとは思いますが、今述べたように、先生の意向を受けて その実現に動くべき人びとが、信濃町で進行している「恐怖政治」によって、 動くに動けなくなっている可能性も十分にあると思います。 さらに言えば、私はもう一つ別の可能性があるのではないかと考えています。 それは、先生が「寝たふり」「死んだふり」をして、秋谷らを「泳がせている」のでは ないかという可能性です。 その根拠は、前にも述べたように、今は、釈尊、大聖人に次ぐ「池田先生の法華経」 の最終章の大団円にさしかかっていると思うからです。 譬如良医が「毒気深入失本心故」の狂児たちを救うために、他国に行き、 さらに死んだと思わせたと同じように、池田先生も方便で、“再起不能、統治能力 なし”と思わせ、子供たち(=弟子たち)の本性をあぶり出そうとしている のではないかと思うのです。 池田先生は、正木理事長が創価大学での講演で紹介されたように、 「私亡き後、学会を我が物にしようとする馬鹿な奴らが必ず出現する。 『会長』とか 『副会長』とか、役職名に翻弄されてはいけない。 その時は、青年部、婦人部らの手で、その悪い奴らをやっつけなさい!」 と、夏の最高会議等で何度も、遺言のように語られています。 その“予言”の通り、池田先生が不在同然となったら、学会を乗っ取ろうと する悪い連中が現れました。言うまでもなく、「池田先生のため」「会員のため」 という思いがなく、独断専行で会則変更とかすべてを自分たちの思う通りに進め ようとする「四人組」です。 人相もどんどん悪くなっていますので、分かりやすいですね(笑) 池田先生から“泳がされている”ことも知らず、我が物顔でやりたい放題をやって いますが、狂児たちが、うるさい父の良医がいなくなって喜んで悪事を重ねて いる姿そのものです。 最後は、先生が良医のように元気に戻ってきて、バッサリ切られて目を覚ます 運命であることも知らずに・・・と思っていましたが、それではいけないという ことに気づきました。 先生に仏敵を倒してもらいたいと頼っている間は、本物の弟子ではない、 先生の力を借りることなく、弟子たちだけで極悪を倒し、「先生の法華経」の 最終章を勝利で飾ってこそ、本物の弟子であると。 また、それによってこそ初めて、“80歳以降も永遠に広宣流布の指揮をとる” との先生の“未来記”を、内実あるものにすることができると思います。 2005年に池田先生が、矢野絢也を倒す戦いを起こされるに当たって、 青年部長の杉山と男子部長の弓谷を呼んでおっしゃったそうです。 「これから最後の最大の敵である矢野をやる。私が矢野を倒すのは簡単だが、 それではダメなんだ。青年部の力で倒しなさい」と。 ちょうど、戸田先生が掌中の珠である弟子の勇姿と底力とを、没後のためにた しかめておくため、昭和31年大阪の戦いを山本伸一にやらせたように、 池田先生は、打倒・矢野の戦いを谷川や弓谷、森井らに任せました。 ところが、この連中らは、先生の期待を裏切り、矢野の手帖を取り上げることすら できずに、創価学会に「裁判所公認の証拠ねつ造教団」の泥を塗り、「脅迫男」の 汚名を着せられたまま、仏敵と和解してしまったのです。 そして、あろうことか、「大慢のものは敵に随う」との御金言通り、矢野と気脈を 通じる秋谷らの軍門に取り込まれてしまったのです。 この連中は、明らかにニセモノの弟子です。本物の弟子はどこにいるか? ジョーカーさんの表現を借りるなら、「創価学会特殊部隊(宿坊の掲示板)」 (http://6027.teacup.com/situation/bbs/21900)は間違いなく、本物の 弟子の集まりの一つであると確信します。 それはなぜか? 一昨年から続く「会則改正」騒動で、「四人組」に一つだけ、誤算がありました。 それさえなければ、すべてを強権で押さえ込み、自分たちの悪事は公然化せず、 すべて思うがままにできたはずのことが起きてしまいました。 ご明察の通り、「宮地文書」「遠藤文書」の流出です。 昨年7月下旬、「信濃町の人びと」さんがこの掲示板にポストした二つの投稿 (http://6027.teacup.com/situation/bbs/8262 と http://6027.teacup.com/situation/bbs/8278) が発火点となって、さまざまな正義の言論の闘士が、 まさに大地から涌き出てくるかのように登場して、 「会則改定」問題をはじめとする「四人組」のさまざまな 悪事を白日のもとに曝き、多くの心ある学会員の知るところとなったからです。 先にも申し上げましたが、 先生の最晩年前後、予言通り現れた四人組を「若く新しくなった池田大作」 たちが立ち上がり倒していく――その痛快無比の壮大なドラマがこれから 繰り広げられていくと思うと、感無量です。 本当に、法華経ってすごいですね! 池田先生と共に歩む人生って素晴らしい ですね! 法華経を現在のこととして読むことができるのですから!!! Tweet