2015年2月22日 投稿者:信濃町観光案内所 投稿日:2015年 2月22日(日)01時35分21秒 通報 ■遠藤文書のリンク先 http://firestorage.jp/download/18515c9d55c822eef5668fc8936c37179ef5d777 ■遠藤文書の概要 「これは、遠藤元総合教学部長から長谷川本部長に提出された文書です。 『御教示願い』と題されてます。 大きく六項目に分けて説明・指導を仰いでいます。 ①誤解への懸念 教義変更問題に関連して7月の直接面談の折に感じた事への懸念がある。それは自分たちが原田会長の失脚を狙った謀略に加担しているかの如き誤解を受けているのではという懸念だ。 これについては御本尊に誓って断じてそのような発想も行動も無い。ただただ「性急にして無理な教義変更によって、池田先生と会員に、取り返しのつかない損失を与える」ことを「断じて阻止しなければならない」という一念だけであった。(教学部に謀略への加担であるとのレッテルを貼って自らの悪事を正当化しようとしているのはY主事とT総長だ) ②学会は池田先生が基準ではないのか この面談の折、件の大御本尊問題に言及すると、「内容はともかく」とか、「答える必要はない」などとして問題の実質について対話を拒否するのは何故か? また、「執行部による性急な学会教義改変」のほうが池田先生の御指導に沿っていないのであれば、むしろ変更を無理に推し進めようとした行為のほうが、「池田先生を師とする創価学会」から逸脱する行為ではないのか 創価学会は、いついかなるときも「池田先生が基準」ではないのか? 先生が拙速な教義変更についてストップをかけられた明確な事実があり、本部長も当時、「先生はそんなこと(御本尊についての教義改変)をしろなどとは言っていない」と断言していた。明確な記録がとってある。これについて、先生に従った教学部が批難されるのはなぜか? ③「会長は無謬」なのか 去る六月、本部長は自分達に言われた、「原田会長のもとで、もう右って言えば右、左って言えば左の論文を書く。創価学会教学っていうのは、そういうもんだ」と。自分はそうではないと考えるがそれは間違いか?「会長の指示が、御書と三代会長の指導に照らして、間違いなく正しいものである」との前提の上に成り立つ論理であり、そうでなければ単なる会長無謬論ではないのか? 実際昨年、自分たちが阻止のために行動しなければ、性急な意図が「実現」し、結果的に池田先生のお考えに反する結果になったのではないか? ④二転三転する主張の真意はどこにあるのか 昨年9月20日、長谷川本部長は、教義改変の画策に関して「池田先生は大御本尊と決別するなどとは言っていない」「会長は嘘をついている」「御本尊では宗門と決別できない」「急いでやる必要など全くない」と、会長を厳しい口調で批判された。しかし、この6月の対面では何故か全く反対の対応をし、「そんなこと私は絶対に言わない」といい、M作成の文書(教学部レポート)についても、全くの虚偽だとの態度を表明されたのは何故か?しかも、当方が当時の記録を示すと今度は一転して前言を翻して「会長は嘘をついた」と認める。このように先生のご指導について180度異なる主張をする真意は? ⑤「これは先生の明確な御指示」という言は真実なのか 谷川総長は、一方で「「池田先生は、大御本尊との決別を大前提とされていた」といいながら、一方では「弘安2年の大御本尊に対する秋谷議長の執着が招いた混乱だ」と率直に吐露している。大山室長は昨年9月19日「先生は全くそんなことを言われていない」「会長もそんな指導受けていない」「会長も先生の前で『いろいろな意見がありますので、慎重の上に慎重に進めます』そう言っていた。確かに『慎重に進めます』と言ってた。あわてて事を進めるなんて、そんなこと言ってないよ。一切。言うわけない」「こんなやり方をしてたら、学会の信心も崩れてしまう。教学も崩れてしまう」と証言している。正直自分たちは会長は先生の指導を誤解しているのではないかと懸念心配しているくらいだ。 ⑥「内容」だけでなく「形式」面でも逸脱していないか そもそも今回の教義改変の画策は、当会の意思決定のルールから逸脱したものではないのか。 1.学会の未来を決する重要事にもかかわらず池田先生に、最終盤に至るまで、決裁を仰ぐ「報告書」すら提出していない 2.執行部の合議を経ずに、独断専行的に決めようとした 3.小委員会を推進派で固め、密室で協議をすすめた 4.従来の教学とまったく整合性のとれない教義改変を強要した 5.その際、「恫喝」まがいの荒々しい言動が繰り返された 6.全てが池田先生の御意思であるかのように印象づけ、日本とSGI各国の首脳たちの意見を出しにくくさせた。 7.責任役員会の際、事前に根回しした一部の人間に示威的な言動をさせるなどの不明朗な策略を巡らした 最後に もとより私は自分が処分されることなど恐れてはいない。御本仏日蓮大聖人のお怒りを、また不惜身命で学会を護ってこられた三代会長ならびに真面目な会員の悲しみを恐れるのみ。 Mについても、「分派活動」なるものにはまったく関与していない。教学室でこれまで以上に活躍してくれることを自分は信じ、期待している。また先生の指導選集の連載も、毎回毎回、世界各国と連携を取りながら細心の配慮をもって進めており、万が一にも彼が外されるようなことがあれば、連載が立ち行かなくなるか、致命的な失敗が起こることは必至。こうした結果を招きよせてよいという資格は誰にもないと信ずる。 そもそも、彼は「御書と池田先生を基準」に正義感をもって行動しただけであり、あの文書も、その一環として作成したものだ。 憂えるのは、ただ学会の将来であり、「池田先生第一」で生きている真面目な後輩たちの活躍の道を閉ざしたくないという一心でこれを記した。 概略以上です。当然、本文は誠意ある丁寧な口調論調で書かれています。 また( )内は私の意見です。 Tweet