投稿者:アリゾナ  投稿日:2015年 2月18日(水)10時09分31秒    通報
大仏のグリグリのとこさんが言うかな、と思って黙っていたのですが、
なかなかグリグリさんは厳しいお方です。笑

説明します。
以前、グリグリさんの仲間の方から「6・30事件」の真相を学んだことがあります。
今、人革の舞台は昭和五十三年七月の「四国指導」。

この時の学会の置かれた環境や取り巻きは、水面下で宗門と裏切り者の山友との激しい攻防戦がありました。
いわゆる「6・30事件」です。

これを知っているはずのグリグリさんが、なぜあえて「大道4」の四国指導で御本尊定義としてまとめたのでしょうか。
アリゾナは考えてしまいました。

しかし、今やることは、グリグリさんも常々言っているように自分の頭で考えろ !
ということだと思います。

結論から言うと、事実記録では人革「大道4」の四国指導で、池田先生は阿仏房御書の講義はされていません。

この四国指導の一ヶ月前に「6・30事件」がありました。

広宣・教宣の方々は、よくご存知だと思いますが、昭和五十三年一月、山友は反学会僧侶の一人である浜中和道を通じて
日達に「ある信者からの手紙」と題する投書を提出しています。この手紙は山友自身の自作の手紙です。

池田先生(会長)が宗門と法主を見下し、宗門を乗っ取ろうとしていると記載されたこの「手紙」は、日達によって
僧侶の集会場で読み上げられ、宗内僧侶はそれを境に「反創価・反池田」となっていきます。

宗内の反学会の急先鋒であった日達の親衛隊ともいえる若手僧侶の一団(後の正信会)がこの時、独自の動きをし
赴任地の末寺で、公然と創価学会を罵倒し、学会批判が書かれている週刊誌を手に、池田先生への罵詈雑言を開始したのです。

山友は、これらの若手僧侶に指示して、学会の出版物にある仏教用語の使い方について、学会青年部と話し合うようにし向けました。
山友は、宗門の意思だと言って、それを聖教新聞紙上で発表するように学会首脳に伝えます。

そして、昭和五十三年六月三十日付けの聖教新聞に「教義上の基本問題について」と題する記事が掲載されると、
山友はこれを「創価学会の教義に逸脱があった」と解説文を用意して
週刊誌メディアに送り、批判のしかたをレクチャーしていっせいに学会批判の記事を書かせたのです。

山友は計算づくで単なる用語の問題に過ぎなかったことを教義の逸脱という宗教の根幹に関わる問題とすりかえ、
しかも週刊誌報道という異常な形で騒ぎたてました。これが「6・30」と称される出来事の真相です。

当時の学会を取り巻く、このような背景の中での四国指導(この事件があった一ヶ月後)です。
四国指導の記録を調べてみれば「阿仏房御書」を通して指導されたのか否か !
答えはおのずと出てくると思います。

しかし、大道4では「阿仏房御書」を通しての指導が記載されています。

これはいったい何を意味するのでしょうか。

やはり、グリグリさんは自ら努力して調べ、考え、学ぶ姿勢を実践し、
私たち一人一人が答えを出していくことを暗示しているように思います。
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解説者さん
グリグリ様がいわれた通り、聖地化を含めた話しであれば
その理屈で聖地化を防ぐことが可能です。
それはそれ。
誠実一路さん
解説者さま
私も違和感は未だにあります。
大聖人も言葉を付け加えられたりされたんですし、時代は変わっても人間は変わらないので無い事も無いかと。
疑い出したらキリが無いですけどね。