2015年2月13日 投稿者:ロマン 投稿日:2015年 2月13日(金)19時26分19秒 通報 皆さんこんばんは。 我々青年部は今一歩、御書を拝し、池田先生の指導を学び合っていきたい。 池田先生の写真紀行 光は詩うの第23回 桜樹燦爛(おうじゅさんらん)の中にこうあります。 「若き君よ、理想の華を散らせてはならぬ。生あるかぎり「もう、これまでだ」などと言うな。少しくらいの苦労で「人間とは、世間とは、こんなものだ」などと言うな。 君が純粋であればあるだけ、誤解と攻撃が、山とのしかかることもある。心に合わない仕事をしなければならないこともある。 しかし、意のままにならないからこそ、修行なのだ。そこで奮闘してこそ、「苦を転じて楽となし、敗北を転じて勝利となす」痛快さも味わえるのだ。 安穏は魂を殺し、順調は魂を殺し、自己満足は魂を殺す。 心から血を流したことのない人間が、どれほど、つまらないか。どん底を見たことのない人生が、どれほど味気ないか。 つまずき、立ち上がるたびに、本当の人生を学べるのだ。耐えて生きている人の心もわかるのだ。 踏んだり、蹴られたりしなければ、精神がふやけてしまう。 強い人間は、不幸さえも楽しんでいけるのだ。』と。 自身が苦境の時、支えにした指導の一つです。 自分の人生は自分で切り開くしかありません。言い訳もきかない。自分自身にしか解らないことも沢山あります。 また、池田先生はスピーチで地湧の菩薩についてこう指導されました。 ◆蓮華の如き生命力で! 一、法華経では、地涌の菩薩のことを「如蓮華在水」(にょれんげざいすい=蓮華の水に在るが如し)と説かれている。 蓮華は、泥の中から咲くが、泥水には染まらない。なぜ、蓮華は泥水に染まらないのか。それは、葉の表面が、細かい毛のような突起で覆われているからである。 葉の上に落ちる雨水なども、はじかれて、水滴が美しく輝く。 「地涌の菩薩」もまた、世俗の汚濁(おじょく)に染まらず、高潔(こうけつ)な使命の 人生を生き抜くのである。」と。 掲示板で取り上げられている様々な事象、出来事はヘドロです。ひどい仕打ちもあるでしょう。そこに立ち向かう人は蓮華のように気高い。 悩み、葛藤に真摯に向き合い、悩み葛藤の中から希望を見いだす心。 我の心、友の心に希望の灯火、勇気の灯火。 そこに仏の生命が現れると確信致します。 従藍而青 「青は藍(あい)より出でて、しかも藍より青し」 Tweet