2015年2月12日 投稿者:河内平野 投稿日:2015年 2月12日(木)18時22分37秒 通報 編集済 ************ 自分たちを支え、懸命に働いている人々を見くだし、差別し、《もの》かなにかのように使い捨てる。 「悪」といえば、こんな「悪」も少ない。人間として最低の行為である。 いわんや、もっとも正しくあるべき宗教の世界で、そんな非道が許されるはずがない。 暴言に対して正成は、「そこまで言われるうえは、もはや異議を申し立てることはできない」と、死を覚悟して湊川の決戦に向かう。 その結果、自軍は全滅。 正成自身も自害して果てる。当然といえば当然の結末であった。 しかし、広宣流布の仏の軍だけは、絶対に敗れるわけにはいかない。 御本仏の「正法」を破壊することは絶対に許せない。 戸田先生は、「創価学会の歴史と確信」の中で、結論として次のような趣旨を語っておられる。 「ただ願わくば、賢明な僧侶があって、創価学会の同志を(楠木正成のように)湊河原で死なせることがないよう願うものである」と。 ************平成三年十月十六日(全集七十九巻) この戸田先生の厳命も守らず、 現場のKS男子部が、返り血を浴びながら、仏敵と戦っている現実を知らない、執行部と一部の跳ね上がり者。 「同志を守る」と、人は簡単に言う――。 「自分中心主義」で戦いを起す人もいる――。 戦うべき相手は、誰なのか。 その本質は、何なのか。 一人一人がもう一度、考えるべきだと思う。 Tweet