2015年1月27日 投稿者:竹鶴 投稿日:2015年 1月27日(火)02時29分2秒 通報 兄はあの通り、破門後、散々糾弾されたが、弟の央はかたちは学会の副会長。連絡局も束ねておったし、なんといっても埼玉のドンとして君臨。あの当時は兄弟とはいえ、師匠を裏切った、兄と絶縁してまでも学会、師匠にお応えしている姿はまさに創価師弟の鏡であると思っていたがな。 Tweet