投稿者:信濃町のネット対策の対策   投稿日:2015年 4月 8日(水)17時29分26秒     通報

信濃町のネット対策の対策です。

根本の「師」とは日蓮大聖人であることに学会員さんでは異論がある方はいないと思います。

三代会長は「師」ではないのか?との疑問を持つ方は少なからずいることを承知しています。

何故なら私、自身も任用試験を高校生の頃に受験をしてからずっと考えてきたことです。
その答えが分かったのは青年教学1級を合格した時でもありません。
その後も長期間、思索していました。

依法不依人と言う言葉が御書の随所にあります。
法に依って人に依ってはダメと言う意味です。
釈尊の経文にあり、日蓮大聖人も諸宗の坊主と対論の時には、この経文を引いて釈尊の経文を正邪の判断として御自身の正義の主張をされたのです。

では、日蓮大聖人は人ではないのですか?
今、私達は末法の御本仏と仰ぎます。
なぜ人である日蓮大聖人に「根本の師」として依るのですか?

また三代会長も人です。
なぜ人に依ってはダメなのに「師」として依るのですか?

たくさんの先輩に質問しましたが回答できる方は粗いませんでした。

御書を拝読して、またたくさんの方から意見、指導を聞き、三代会長の御指導を学ぶ中でやっと理解することができました。

それが、昨日書きましたが、「法華経の行者」と言うキーワードなんです。
もう一つは「地涌の菩薩」です。

しかしこれを書いても御理解できない方もいると思います。

仏法は「信」が源です。

疑問に思う方は日蓮大聖人が「人」であるのに、依法不依人から除外される理由は答えられますか?

仏法の深い法理を学ぶことも大切ですが、現実に日蓮大聖人を「末法の御本仏」として「南無」することによってたくさんの功徳の実証があるのですから、まずは「信じる」ことが大切です。

現代では、創価三代会長を「師」と「信じて」日蓮大聖人に「南無」して学会員の私達は功徳の実証を示してきたのです。

続きは後程書きます。