投稿者:ジョーカー  投稿日:2015年 3月14日(土)09時38分18秒    通報
スナフキン
「大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ」

私の現在の問題意識は、自分の「意志」を持つこと。即ち、自分がどうしたいのかということを明確にすること。そもそも、考えるという事は一体どういう事か。それは、自分がどう思うのかを明らかにし、そして、どうしたいかを言語化する作業であると思います。

人は環境に流される。とくに日本人は流されやすい。空気を読むことが上手な分、逆に自分の意見を表明することが苦手で、意思は曖昧ではっきりしない。自分がどうしたいかよりも、回りを気にする傾向ありである。そこが日本人の長所でもあり、短所でもある。

考えることはエネルギーをつかう。何も考えないのは楽である。誰かの意見に便乗して、生きていくのも簡単だ。だけど、そういう生き方を繰り返すと、いつしか「自分がどうしたいか」がわからなくなる。これを思考停止ともいう。今回の教義変更で、私が一番懸念することは、賛成している多くの会員の人たちに、自分の意志(考え)が果たしてあるのかということです。

組織や新聞での情報だけでなく、懸念や反対の意見も吟味したうえで、それでも賛成であるなら良いのですが、どうもそのようには感じられない。とくに考えもなく、その場の雰囲気で賛成というのが恐い。この掲示板では、教義変更の問題点をこれでもかと取り上げていますが、これだけツッコミどころがあっても、全面賛成できるのかどうか。当然、ほとんどの会員は、この掲示板の存在を知らないでしょうが、それ以前に、賛成・反対・中立の様々な意見を検証しようという思考力があるのか。他人の頭で物事を判断し、自分の頭では考えない姿勢と癖がついていると、結局は、組織に依存するようになる。

自分の意志を明確にするということは、自分自身に生きるという事である。意志ある人は自分の言葉で語ることができる。意志のない人は、誰かの言葉で語る。他人のどうしたいを聞く前に、まずは、自分がどうしたいかであり、それを第一に考えられるようになることが大事であると考えます。ちなみに私が投稿する目的は、「考えるきっかけの提供」であり、その根底にあるのは、一人ひとりの会員を賢くしたいという意志であります。それが、組織悪と戦うための下地となるからです。

意志なき人生は、目的地のない航海であり、それは結局のところ、どこにも辿り着くことはできない。意志は祈りとなり、祈りは現実の形となる。使命と意志は一体不可分な関係であり、自分で決めていくものなのです。

この掲示板で得た情報で、一体自分は何をどうしたいのか。それを考えるのは自分自身であり、他の誰かではありません。他者依存、組織依存からの脱却こそが自立した人間、自立した信仰者である。今の時代を生き、さらなる飛翔を遂げていくための必須スキルである。この土俵に上がらなければ、戦いにすらならないというのが、私の基本的な考えである。