2015年3月29日 投稿者:信濃町のネット対策の対策 投稿日:2015年 3月29日(日)20時44分28秒 通報 私達創価学会員は朝晩、勤行をして御祈念文を念じます。 そこには「御本尊」に「南無」します。 「日蓮大聖人」に「南無」します。 「日興上人」に「南無」します。 次の「日目上人」には「感謝」します。 「南無」しません。 「南無」とは皆様ご存知の通り帰命のことです。 帰命とは、現代的に言うならば、自分の命を捧げることです。心から信じて一体になりますと言うことです。 念仏は「南無阿弥陀仏」と唱え念じます。 「阿弥陀仏」と言う実体の無い仏に「南無」するのです。 日蓮大聖人は念仏は「哀音」と仰せです。 実体の無い仏に「南無」すなわち命を捧げ一体になろうとするのですから、自分の命は弱ります。哀しくなります。 ですので、「南無」する相手はとても大切なのです。 日興上人に「南無」するとは「ただの感謝」ではないのです。 これをご理解すると先程、私が書いた御本尊についてが理解し易いと思います。 後ほど、続きを書かせて頂きます。 Tweet