2014年12月15日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年12月15日(月)08時56分23秒 通報 師弟を忘れて広宣流布はない。 悪は、必ず明るみに出る。それが歴史の教訓だ。 昭和54年(1979年)、私は第3代会長の辞任を余儀なくされた。 その背後には、どす黒い心の宗門と、私利私欲に狂った反逆者の謀略があった。 「第三代は一生涯、会長として指揮を執れ!」 これが戸田先生の遺言であった。 第3代会長を守れば、広宣流布は必ずできる──これが恩師の厳命だったのである。 しかし、邪悪に誑かされた当時の最高幹部は、正義を守ることができなかった。 私の手もとには、多くの純真な学会員の方から届いた手紙が、今も大切にとってある。 私の辞任の報に、 「なぜ、辞めなければならないんですか!」 「辞めなくてすむように、戦った人間は、いないんですか!」 「あまりにも、ひどすぎる!」 ──そうした、やむにやまれぬ怒りが込められていた。 悲痛なまでの叫びの手紙もあった。 それを送ってきた人の名前も、私の胸中から離れない。 今、白日のもとにさらされた迫害の構図を、若き皆様は、わが胸に刻みつけていただきたい。 御聖訓には仰せである。 「この法門を説くと、必ず魔が現れるのである。 魔が競い起こらなかったならば、その法が正法であるとはいえない」(御書1087頁、通解) 難こそ正義の証しだ。 迫害を避け、自分だけ、いい子になって、うまく立ち回る人間は、にせものである。 だれが矢面に立って同志を守り、あらゆる迫害を受けているのか──その正義の人を、守らねばならない。 【全国各部協議会 二〇〇八(平成二十)年二月二十六日】 Tweet