2014年12月3日 投稿者:ロマン 投稿日:2014年12月 3日(水)20時47分46秒 通報 戸田城聖が、牧口常三郎のことを回顧する時は、心底より懐かしそうであり、厳しかった。戦後初めての法要を兼ねた会合が、杉並の歓喜寮(現在の昭倫寺)で営まれた。その時の追悼講演である。 彼は泣き、かつ激憤しながら話を進めた。たった一人の親戚の人に背負われて、寂しく死して出獄した牧口先生の模様を語りつつ鋭く叫んだ。……先生の薫陶を受けながら、時の権力者を恐れて、かかわりのないように去っていった、卑怯な同志を詰るのであった。悔しかったのであろう。 昭和二十五年十一月十二日、神田の教育会館でなされた七回忌法要の時も同じであった。彼は幾度も泣いていた。号泣に近い。その深い心は、弟子たちにはわからないようであった。生涯にわたって彼は、獅子のごとく剛毅であった。信仰のうえからの信念はもとより、明治の良き気骨のある性格でもあった。しかし、ひとたび牧口先生のことになると、真剣を抜く姿勢をとられたのである。ある時は、胸臆より涙し、ある時は、秋霜のごとく厳しく論じ、ある時は、修羅のごとく憤り、獄死した恩師を偲び、護りぬいてこられた。疲れのでた晩年、側にいた私どもには「先生がいないと寂しい。牧口先生のもとに還りたい」と、よくいわれたりしていた。 私は、そのたびに電流に打たれる思いであった。仏法に結ぶ師弟というものが、かくも崇高にして尊く、偉大で強靭なる永遠の絆をもって連結されているものなのか、と。まさしく、生死は不二であり、師弟は不二であることを、色読するのみである。 ―文庫本『随筆 人間革命』(1978年4月20日発行)より抜粋、P74-75。 心ある人々の対話が大事です。 精神を継承していきましょう。 Tweet