投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月19日(水)09時56分9秒    通報 編集済
近年、「宗教への回帰」がよく論じられる。
たしかに、世界的に、若者を含め、「宗教的なもの」への関心は高まる一方である。

中国、ソ連、東欧も、また西側先進国も底流は同様である。
「社会の進歩とともに、宗教は衰える」とした、かつての多くの予言は、まったくはずれてしまった。

その一方、「無宗教への加速」も減っているわけではない。
人々は伝統的宗教、権威的な大組織型宗教から離れる傾向がある。
人々の宗教への態度には、こうした相反する両面がある。

要は、現代人は「権威的でない宗教」を求めているといえよう。

アメリカの世論調査によれば、
一九七八年から一九八八年の十年で「信仰心のある人」は六%増え、
その一方では、「教会へは行かない人」も三%増加。

調査の結論は
「教会へ行かない人々は、十年前よりも信心深くなっている」となっている。

実際、人々の宗教への期待は、いわゆる「小さな宗教コミュニティー(共同体)」に向けられている。
大きいだけの組織、主流の教会を避けて、もっと身近な《たがいの顔の見える》宗教的集いにひかれている。

「ニュー・エイジ(新世代)派」と呼ばれるアメリカの宗教運動は、
「外部の権威」を退け、「内面」へ目を向けて、《東洋の宗教、瞑想、人間性回復運動を通じて導きを得ようとする》とされる。

彼らの一人は語っている。
――伝統的宗教は、われわれの「内なる自己」に語りかけることがますます少なくなっている。
人々が求めているのは、生き生きと心に訴えかけるスピリチュアル(精神的)な体験だ。
人々は、魂のつながりを欲しているのだ、と。

このように、人と人の《じかな触れ合い》《心の奥に届く話し合い》を、人々は宗教に求めている。

現代のように、大きな変動の時代には、
硬直した組織、官僚化した宗教であっては、人々の多様なニーズ(要求)に応えられない。
ゆえに「ミニ懇談」「座談会」が大切になってくる。
組織の拡大とともに、より以上のきめこまかさが必要になる。

すなわち、
①全体への「原則の明示」
②小さな集いでの「納得できる対話」
――その両方が、《人間的な前進》の両輪となる。

学会の伝統の座談会、またミニ懇談の試みは、この意味でも、世界の宗教界の先端なのである。

それでは、対話、懇談で大切なのは何か。
それは「よく聞く」ことであろう。
これは平凡に見えて、むずかしいことである。

古代ギリシャの哲人ゼノンは、
「人間は一枚の舌と二つの耳を持って生まれた。ゆえに話すことの二倍だけ聞け」と述べている。

とくに女性は、聞いてもらうだけで、気持ちが晴れる場合がある。
漢字では、「聡」の字も「聖」の字も「耳」が意味の中心である。
「よく聞ける」人が「聡明」なのであり、その究極が「聖人」なのである。

【第一回ベネルクス三国最高会議 平成三年六月十日(全集七十七巻)】