2014年11月15日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年11月15日(土)16時07分6秒 通報 一九八〇年、長きにわたったアキノ氏の獄中生活が終わりをつげる。 心臓発作を起こし、仮釈放となり、手術のため家族とともにアメリカに渡ったのである。 手術成功後も、療養が必要であり、一家はアメリカにとどまり、事実上の亡命生活が始まる。 独裁者の心根は陰湿である。 マルコスは、獄中のアキノ氏をあえて処刑することなく、自由なき《生きながらの死》を科した。 それは、国内の反政府勢力への牽制でもあった。 同時に、この時、アキノ氏の出国を認めたのも、 彼が《進んで祖国を捨て、安易な生活を選択した》と国民に思わせ、彼の政治的信用を失墜させようとのねらいがあった。 とはいえ、アキノ氏の健康は順調に回復し、一家にはひさしぶりの安息の日々が訪れる。 それは、二人が結婚して以来のもっとも平穏な時期であった。 《亡命》から三年。 アキノ氏は、アメリカでの自由な生活を捨て、敢然と帰国を決意する。 異国にあっても、聞こえてくる民衆のうめき声。 独裁者に蹂躙された祖国――。 それを、自分だけ安全地帯から傍観していることはできなかった。 フィリピン独立運動の英雄ホセ・リサールも、家族や親戚の反対を押しきって、危険のなか帰国し処刑された。 氏は、ある時、この先達の姿をとおし、心境を語った。 「リサールと同様、私も帰らなければならない。なぜなら、そこに、問題があるからなのです。 指揮官は必ず兵士の前にいなければならない。兵士の後ろにいてはいけない。 もし私がリーダーであるなら、皆と困難を共にしなければならないのです」 「手をこまねいていてはいけない。民主主義の火を消してはいけないのだ。 たとえ九対一の劣勢でも全力で闘わなければならない」――。 人間として、また民衆のリーダーとして、《千鈞の重み》をもつ言葉である。 【第四十一回本部幹部会 平成三年四月二十五日(全集七十七巻)】 Tweet